講演2 :「青蓮院門跡について」
東 伏 見

  私も経済界におりましたので,横山さんのお考えとほとんど変わらないことをやってきたわけですね。競争社会とか差別化とか,そういう世界におりました。それからこういう仏門に入るということになりますと,最初は形から入るといいますか,お茶やお花も最初は形から入ると言われますけれど,それからだんだんと本当の信仰に入っていくんだと思います。信仰,確かに非常に難しいんですけれども,やはり自分の外に大きな力があると気付くこと。自分を取り巻いている大きな力への畏れといいましょうか。自分で全て解決できるわけではないということでしょうか。助け合い,生かされている,それから横山さんも言われましたけれども,自分にはお父さんお母さんがいて,両親にもまたお父さんお母さんがいて,そうやって生かされている自分がある。そういうありがたさといいますか,ですからこの一秒一秒を大切に生きていく,人のために何かできないかと心がける。そうした心を目指していくことが宗教の一つの狙いではないでしょうか。伝教大師さんも言っておられるんですね。己を忘れて他を利する,これが慈悲の極みだ,と。慈悲という言葉があるんですが,慈という言葉,これは可愛がってあげるというような意味ではなくて自分の大切なものを人におしみなく与える。悲のほうも,悲しいということじゃなくて,人の苦しみや悲しみを自分のことのようにひしひしと分かるという心の段階なんですね。観音経というお経がございます。その中にそのことが書いてございます。この慈悲という心,人のために全てをなげうって,命がけで人につくしていくというのが慈悲なんですね。そういうことによって,自分も生かされていく。まずは人を助けること,自分じゃない,ということを説いてるんですね。これは非常に難しいことで,なかなかできないんですね。自分さえ良ければいいという競争社会の中でそんなことも言っていられないかもしれませんが,しかしながらそういう思いというものを本当に持っているかいないかで全く違う判断,あるいは行動になっていくんじゃないかと思います。私どもも毎日おつとめをしておりますが,おつとめが終わると日常の雑事に埋没してしまいがちです。しかし毎日毎日繰り返して基本に戻って思いを深めていくということで,段々に血となり肉となっていくのではないかと。それを極めていったところが最終的には悟りということなのではないかと思います。

  皆さんがここにおいでいただいて,一日でも安らかな気持ちになっていただく。日本の文化について思っていただく。そして,人のために自分には何ができるのかな,と少しでも思っていただくと,仏さまがお助けしてくださる,と仏教では説いているんだと私は思います。うまくまとまりませんけれどお話させていただきました。ありがとうございました。

司 会

  ありがとうございました。
以上をもちまして京都創生連続セミナー第5回を終了いたします。

(了)

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