講演1 :「身近な京都〜お客様へのおもてなしを通じて〜」
横 山

  その後,シドニーに2年間,オリンピックのために立ち上げをしたのですが,オリンピックの直前に呼び戻され,大阪のハイアット・リージェンシー・オーサカにまいりました。そのころは,ちょうどユニバーサル スタジオ ジャパンの開業と同時に随分成績を良くしていました。その後,下降したのですが。まるでジェットコースター乗ってるみたいでした。ハイアット・リージェンシー・オーサカは南港というところにありまして,開業の時から業績が芳しくありませんでした。後ほど詳しく申しますが,やっぱり地域があってこそホテルは運営できるのかな,ということを大阪で非常に強く感じました。初めは大阪に行った時に,「ここは観光で売るんだ」ということを大阪市の方や港湾局の方や,その他多くの方から聞かされて,「よし,観光で頑張ろう」と思いました。しかし,少し働いているうちに,「ここで何を観光するのかな?」と思いまして。南港という場所は埋立地で,再開発の場所として大阪市が活性化を図ったところです。ATC,WTCも,皆さんお聞きのように苦しんでらっしゃる。そんな中での観光なんてありえないと思い,そこから方向転換をして,先ほどもちょっとお話をしてましたが,マイスグループという,ミーティングとかインセンティブ,つまり企業の褒賞旅行ですね,それから展示会,コンベンションといういろんな学会とか,そういったものを取り込みましょうと,大阪市や港湾局と一緒にやりました。そこで,地域との関わりというものがどれだけホテルにとって重要であって,ホテルが主となってできることもあるし,あるいはホテルが一部となってその地域を活性化することもできるのかな,そんな風にすごく思いました。

  今回,以前,京都パークホテルとして26年間営業されていました場所を,モルガンスタンレーという会社が80%,ハイアットが20%を出資して購入し,2006年3月15日にホテル開業に至りました。ちょうど開業1年になります。私はその前の年の7月1日に京都に入り,開業準備室を探して電話とFAXを引いて机を入れて,ということから始めました。準備室を探して五条大宮へ行ったり七条大宮へ行ったり,結局,四条高倉のビルの7階,最初は大きな部屋の3分の1だけ借りまして,9月1日に一番初めの広告を出したのは人の募集でした。それからどんどん人が増えていくようになりました。住まいを構えたのはホテルの近くです。通常,私どもインターナショナルホテルの支配人というのはホテルの中に住まなければなりません。それが私どもの義務で,大阪の時もそうでした。ホテルの廊下のカーペットと家の中のカーペットが同じなので,仕事なのかうちにいるのか分からなくなるくらいです。私にとってはすごく良かったのですが,家の者にしてみれば,買い物する時にも買物袋の外にハイアットの紙袋をしていくとか,サンダル履きでは行けないわけです。着替えていかなければならないというので,随分困ったようでした。私の大阪時代の同僚でフランス人のシェフがおりましたが子どもが2人いたのですが,小学校に行く時はランドセルしょってロビーから出かける。そういう生活を私たちホテルマンは強いられている。楽しみながらやっているのですが。でも,今回のホテルは規模が小さいものですから,189室しかないので,ホテルじゃなくて外に住めということで,五条のホテルから10分15分のところに住んでいます。要するに,何かあったらいなければいけないので,船が沈む時に船長がその中に残るのと一緒で,そのくらいの気持ちで,私たちもホテルを運営しております。大袈裟かもしれないですが,お客さまの生命をお預かりしているという気持ちですいる。やはり,この仕事は安全とか平和とかそういう環境がない限り,ホテルという産業は栄えないと思います。そういうものをベースにして,私たちは皆さまの安心,安全を価値として提供して,また皆さまからその価値を金額として提供していただいている,そんな思いでやっております。

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