趣旨説明
「国家戦略としての京都創生」の取組について

京都市総合企画局政策企画室 京都創生推進部長
大田 泰介


 第14回目の「京都創生連続セミナー」を開催しましたところ、多数の皆さまにご参加をいただきまして、ありがとうございます。心より御礼申し上げます。

 皆さまご存じのとおり、京都が持っております四季折々の美しい自然景観、そこに溶け合う寺院、神社、京町家などの町並み、更に風土に受け継がれ磨き上げられてきた伝統文化は、国内外の多くの人に愛され、高い評価を得ているところです。

 「国家戦略としての京都創生」とは、こうした京都の自然や都市景観、伝統文化などを、国を挙げて守り、育て、活用しようという取組です。京都市では、京都創生をわが国の国家戦略と位置づけ、必要となる制度的、財政的な支援をしていただくよう国に対して求めているところです。

 もちろん、京都市としても、景観、文化、観光の三つの分野を中心に、京都の団体や企業、市民の皆さまとともに手を携えて、京都を守り、育てていく取組を進めていますが、いろんな課題に直面している現実があります。

 例えば、京都らしい都市景観を彩っている京町家は、毎年約2パーセントずつ失われている状況です。京町家は経済的な負担などもあり、なかなか維持するのが難しいという事情があります。京都市としても、補修に対して助成制度をつくるなどして支援しているところです。

 また、京町家に関して、もう一つ大きいのが、市民の努力や京都市の取組だけでは解決しない、法律上の規制です。京町家を含め家を建てるときには、「建築基準法」という法律の基準を守るという規制があります。当然、京町家が建てられたのは、この「建築基準法」がなかった時代ですので、いま、京町家を建て直したり、あるいは改築したりしようとすると、この法律のいろんな規制にかかってしまい、本来の京町家の姿を残せないという状況になっています。

 このため「建築基準法」を、すべての建物に一律に適用するのではなく、京町家のような特徴のある建物については、それに応じた適用の仕方ができるよう国に求めているところです。

 また、文化に関しても、14箇所ある世界文化遺産をはじめ、全国の国宝の19パーセント、重要文化財の15パーセントが京都に集中しています。文化財は、昔のことを知るための貴重な資料であり、保存、修繕をしていかなければなりませんが、それには大変な費用がかかります。 京都市としても、例えば、二条城の本格修理にかかっていますが、その財源を確保するため、今年度、「二条城一口城主募金」というものを作り、広く募金のご協力をお願いしているところです。

 このように京都の都市景観、伝統文化などを守っていくためには、京都だけの取組では限界があります。こういった状況を京都以外におられる京都ファンの皆さんに発信し、現実を知っていただこうと、来年2月に、東京に進出されている数多くの京都の企業や大学の皆さま、そして在京の皆さまと一緒に、「京あるきin東京」というイベントを行う予定にしています。東京で京都の現状を発信し、京都を守り、育てていくことの大切さをしっかりと訴えてきたいと思います。

 本日、ここにお集まりの皆さまにおかれましても、本日のセミナーを契機に京都の新たな魅力を発見していただき、それをまた身近な人々にお伝えいただきまして、「国家戦略としての京都創生」の取組にご協力いただければ幸いです。





講 演
「伝統生活の構成要素とその展開 〜京文化の将来を探る〜」

花園大学副学長
芳井 敬郎 氏


都の特殊な地形

 「日本に京都があってよかったな」といわれています。誠にそうだと思うのですが、京都が日本のなかで注目される大きな要因に京都の特殊な地形や風土が挙げられるのではないかと思います。京都は東山、北山、西山と三方を山に囲まれ、南側に開け川が流れている。テレビなどでは、部分、部分に古い町並みが残っているところを小京都といっていますが、むしろ京都として他と区別できる大事なことは、山が迫り、川が流れているところだと思うのです。

 794年に桓武天皇が長岡京から都を、この京都市中に移しましたが、そのときの詔(みことのり)に「この国、山河襟帯、自然に城を作(な)す」と書かれています。まさにこの北山、西山、東山、この山が城壁のようになっていることから、この地を都と定めたと言えるわけです。よそと遮断されているところに京都の特徴があるのです。

 京都の商店街は、面白いもので、よそでは「何とか銀座」と名づけそうなところを、「何とか京極」などと名づけています。銀座と名づけないところに京都人の京都に対する誇りが窺えます。自分のところで一番にぎやかな場所にあやかろうということだと思いますが、こうした発想、考えは、よそと遮断されている、京都の地形が影響しているのではなかろうかと私は考えています。

京都のお国柄

 江戸時代の日本では、各藩(国)が連合体となって幕府が成り立っていましたので、人々には、何々の国という、国意識というものがあり、各特色がみられます。今でも、東京の下町に行きますと、娘さんがおやじさんをつかまえて、「何言ってんだよ、てめえ。」と、喧嘩腰でポンポンしゃべっています。こんなふうに女性までもが、ちゃきちゃきと振舞う気質、雰囲気が、江戸のお国柄であるわけです。

 絵を見ても、京都画壇を代表する円山応挙などは、女性の顔をふっくらした瓜実顔の美人に描いています。一方、江戸では、幕末ごろの浮世絵で、女性の顔をまるで三角のキツネ面のように描いています。このように絵画一つ取り上げましても、その国の雰囲気が明らかに異なることが分かります。

 京都は他国から見てどのように映っていたのか。『里見八犬伝』などの著書で有名な江戸時代の作家・滝沢馬琴が、京阪へ旅をして書いた『羇旅漫録』(きりょまんろく)という随筆に以下のように記しています。

 「三条橋上より頭をめぐらして四方をのぞみ見れば、緑山高く聳て尖からず。加茂川長く流れてきよらかなり。人物亦柔和にして、路をゆくもの争論せず。家にあるもの人を罵らず。上国の風俗事々物々自然に備はる。予江戸に生まれて三十六年。今年京師に遊で、暫時俗腸をあらひぬ。」

 三条大橋から仰いだら、山がなだらかである。加茂川の流れは清らかである。人は物腰が柔らかい。大変に品がよろしい国柄で、それが自然に備わっていて、わざとらしさがない。京都にいて俗世のことが洗われて、なんだか心が浄化される気持ちになる、とあります。「浄化される」そこに京都のよさを見いだしていることがわかります。

 また馬琴は「京によきもの三ッ。女子、加茂川の水、寺社」とも書いています。京都にはご存知のとおり神社仏閣が多く存在します。神社に行くと、手水舎で必ず手を洗って身を清め、かしわ手を打ちます。身もこころも浄化できる場が、京都ではないだろうかということが、馬琴の文面のなかに読み取ることができます。

 このように他国の人は、京都をいろいろな角度から見て、非常にやわらかい町であると感じていました。このことは現代の人々にも同じように感じられるのではないでしょうか。山や川の美しい自然、そこで育まれた文化、神社仏閣に心が浄化される、これが京都の魅力の一つで、ひとつの売りであると思います。

家訓から見る永続の考え方

 京都では、代々そこに住み商売を続けている家が多いわけですが、永続するため、どういうことを信条として暮してきたかについて、老舗商家の家訓から読み取ることができます。

 京都の老舗漆器商の家訓には、次のように記されています。「亭主たる者、其家の名跡、財宝自身の物と思ふべからず。先祖より支配役を預かり居ると存じ、名跡をけがさぬやふに、子孫へ教え、先格を能々守り勤め」、「壱軒にても別家の出来るを先祖への孝と思ひ・・・」

 親から受け継いだ財産は「家」に属するものであって個人のものではないと、はっきりと書いています。当主は財産を私物化せず、先祖さんから預かったものであるという認識で商売にいそしむこと。名を汚さないように子孫へ教え伝え、この家の格を下げないようにいそしめと言っています。

 「壱軒にても別家の出来る」は、のれん分けです。使用人が10年ほど勤めたなら、運転資金を貸すか与えるなどして別居させ店舗展開をさせるのです。別家にもいろいろな方法があり、屋号を与えて、本家と同じ商売をする場合と、違う業種で商売をする場合がありますが、いずれにしても、別家さんは、主家が年中行事などを行うときには、率先して夫婦で手伝いに行きます。これは大事なことです。ときには、自分のところの主人の店が傾きかけているとなれば、自分の店を主人の店にして、自分が借家の方へ移るというような犠牲的精神も発揮しています。おそらく、お世話になった店、主家を守らなければならないという、京商人の気概があったということです。

 また、他の家訓をみると、主人が家訓を守らないときなどは、家の者、番頭、手代の類い、別家、分家といった人たちみんなで主人に対して意見を言ってもよいとあります。そして、意見を聞かない場合は、主人といえども隠居させてしまっても構わないと言っているのです。

 これらの記録からも、当主を中心とするピラミッド社会を成立させることによって、その「家」を長く続かせ、日本でも希有なほど多い老舗を形成してきたことが分かります。使用人との間には縦関係がありましたが、そこには主人との書類上の契約だけではなく将来のことも考えてまさに丸抱えのようなことが行われていました。このように家というものを存続させていくために強力な家訓があったわけです。

 日常の信条についても、別の老舗の家訓に、酒や、遊興などにおぼれず、長寿を心がけて、始末第一に商売に励んで暮らせとあります。ぜいたくな物は食べるな。しかし、あまり極端な粗食は体に害を生じると書いています。

 また、ある呉服商では、物見遊山はいけない、しかし信心のため、家の者をはじめ手代や子どもたちを連れて、寺社や墓にお参りすること、と言っています。これは大事なことで、信仰というものを媒介にして、家のアイデンティティーの確立を図る表れです。一致団結しなくてはいけないということを、信心、教えというものを通じておこない、そのことは家を盛り立て、存続する大きな要素になっていることが分かります。

型の文化の継承

 京都は「型の文化」というものを大事にしてきたからこそ、町の荒廃もなく、よそと区別化、差別化できる町だと思います。

 なにごとにもまず「型」があって、その上で初めて個性が生まれます。私は個性というのは、赤ちゃんとして生まれてきたときからあるわけがないと考えています。おぎゃっと泣いて、手を振って阿波踊りを踊るわけがないのです。嬉しいとき、悲しいとき、苦しいとき、みんな表情にしますが、その表現には文化が反映し、型があるのです。

 例えば、京都の芸能は、舞にしても能にしても型から教え込みます。京舞井上流 四世井上八千代さんが「型より心や」と言われました。「型」を学んだ、そのうえで心ができるということです。これが大事なのです。

 そして、京都の花街では、特に型の文化を大事にしています。祇園町が特殊な雰囲気を形成しているのは、内部の人間に「型」を大事だと考える精神が永続しているからであり、時代に迎合せずに、ほとんど変わらない姿を保っているのです。

老成の美学

 京都には「老成の美学」というものがあります。これはやはり、京都の一つの伝統です。年を取る、年を経ることが一つの美になる、という考え方です。

 アメリカは若さを保つことを大事にする文化です。京都はそうではありません。京都を代表する文化の一つに茶の湯がありますが、茶道は老成の美学で成り立っていると思います。

 そこで京都は、あまり若い人たちに妥協せずに、理解されにくいですがもっと渋さを見せた方がいいということです。若い人にとっては、京都の伝統文化が逆に目新しいものと映ります。だから、私は、京都で「老成枯淡の境地」を追求していってほしいと思います。

 老成すること、型を大事にすること、いま日本人が忘れているものを大切にし、新しい教育のなかで、もう古臭いと言われたものを発掘しながら、京都は進んでほしいと思います。古いものの持つオリジナルの良さを熟知して、それをいま、具現化していく。これが京都の生き残り作戦として大事なことだと思います。


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