映画との出会い

 映画監督の林海象です。ただ今、ご覧いただきましたように、「川崎にある“探偵事務所5”は創立60周年を誇る格式ある探偵事務所である。」のナレーションで始まる探偵シリーズをインターネット上で展開しております。

 私は、京都は西院の出身で、19才まで育ちました。最初に見た映像は、大雨の翌日のよく晴れた日に、雨戸の節穴を通して襖に、庭先の映像が逆さまに映ったものでした。テレビも何もない子供の頃で、強く惹かれたことを覚えています。

 初めて映画を見たのは昭和30年代、小学校のときです。当時、西院にも映画館がありまして、3本立てを時間が経つのも忘れるほど見入っており、外へ出ると夜でした。映画館は時間を忘れさせてくれる竜宮城のようなところだなあと思いました。これが映画を好きになるきっかけでした。

 京都で大学に入りましたが、どうしても映画がやりたくて19才のときに上京しました。その後、30年間、東京で過ごし、2年くらいアメリカにも暮らしました。最近、ちょっと東京が窮屈に思えてきまして、もう一度、外国に住みたいなあと思い、外国に最も近い日本の都市はどこだろうと思って探してみると、京都でした。京都はもっとも日本らしい街ですが、文化的なものの維持レベルはとても高いところです。ヨーロッパの良さも街がほとんど変化しないことにあります。東京は変化が激しすぎます。そんなこともあり、京都にもう一度住むことになりました。

 京都は、映画発祥の地でして、映画の発明は、1895年、フランスのリュミエールがフィルムに定着する映像を発見したことが初め。これをいち早く日本に買い入れたのが、京都在住の稲畑勝太郎氏で、1897年2月、四条河原町で興業を行ったのが、日本の映画の初めといわれています。京都で映画が盛んになり、1950年の黄金期には、13もの撮影所が右京区にありました。ある特定地域に13も集中するのは世界にも例がありません。

 昭和30年代には、映画館数は8000館、興行成績は今の約6倍と、多くの人が映画を見ていました。当時、東映だけでも3万人が働いていましたし、侍の格好をした俳優が太秦の街を普通に歩いていました。

ネットシネマへの挑戦

 映画館で見る、かつて、映画を見るのは不良だといわれました。しかし、その後、みんな映画を見るようになりました、次にテレビを見るとバカになるといわれました。しかし、今はテレビが全ての時代です。マンガを読むとバカになるといわれました。今は、マンガをみんなが読むばかりか、日本が世界に誇る文化になりました。このように、かつて悪いといわれていたものがブレイクしている、ならば、今一番悪いといわれているものは何だろうかと考えたところ、それはインターネットでした。何年か後には、インターネットの時代が来るだろうと思いました。

 ひょんなことで、ブロードバンドタワーの大和田廣樹氏〜日本全国にインターネットを広めたインターネット総合サービス会社の代表〜と知り合いになりました。彼は、次に何をやるかを探しておられました。

 そこで、映画界のシステムは古く、狭い領域で凝り固まったものなので、新しい映画界のシステムがつくれないでしょうかと相談しました。映画の概念を打ち破って、根本から考え直し、映画は、「人を感動させるもの」(MOVE)と定義。平日、働きづくめの人が、休日に楽しめるもの、気楽に見られるもの、「大衆娯楽」に徹しようと考えました。今や、一人に一台パソコンがあり、これは、もはや「一人一館」の映画館だと考えました。当時、ネットシネマはチープなものという考えがあったので、「映画の力をネットシネマに使ったら、クオリティが向上する」という挑戦を始めました。これがネットシネマとの出会いです。

ネットシネマ『探偵事務所5』シリーズの展開

 今から3年前に、ネットシネマとして探偵事務所5を始めてから現在までの動きをご説明いたします。

 探偵事務所5は、黒いスーツ、黒いネクタイ、黒メガネと、同じ格好をした100人の探偵が所属しており、それぞれ500から599までのコードネームで認識されています。七つの顔をもつ変装の名人、亡くなった人が見える探偵、格闘専門の探偵など。これは、幅広い事件を扱うため、それぞれに対応した得意分野をもつ多数の探偵が所属する探偵事務所を想定しました。

 私は探偵映画が得意で大変好きでして、これまでもたくさん作りました。それで、その集大成を作ってみたかったのです。そして、インターネットシネマを中心に多くの方に見ていただいて、そこから映画やコミック、商品などを作ろうというメディアミックス型のプロジェクトを立ててみようと思いました。最終的に黒い格好の人が街を歩くようになればいいなぁと思っております。

 最初に映画版を制作し、その後、これまでの2年間でネットシネマを51本制作しました。1本だいたい30分くらいです。

 映画版の予算は、1本3億円。これに対してネットシネマは、1本350万円と予算が極めて少額。そこで、とても合理的な映画製作が求められます。

 キャストに関しても、無名の俳優ばかりというのがネットシネマの弱点でしたので、これを改め、宍戸錠さん、佐野史郎さん、と皆さんもよくご存知の俳優で揃えました。一番うれしかったのは、ずっといっしょにやっていた貫地谷しほりさんがNHK「ちりとてちん」で有名になったことです。

 現在は、セカンドシーズンが終わり、劇場版最新作が来年のGW明けの公開へ向けていろんな動きがあります。

 一番大きな動きは、ネットシネマの配信をいろんな国の言語に対応させようとしていることです。中国の動画配信サイト最大手のBBVOD社と提携して2007年7月より配信をはじめ、台湾、韓国で配信中。次はインドのテレビで流したいと交渉中です。世界の多くの人に面白いかどうか評価してほしいところです。

 現在、「探偵事務所5」の公式サイトがあり、以前は無料でご覧いただいていたのですが、今は課金システムとなっております(※2008年3月配信終了)。無料当初は65万人くらいの方にご覧いただいており、月に1回新作を配信していました。

 サントリーと提携して、サントリー商品を購入して「探偵事務所5の試写会にいこう」という企画もありました。また、雑誌ビジネスジャンプでオリジナルのコミックも連載されました。探偵グッズとして、探偵スーツや結ばなくてもいいネクタイ、5の文字版が大きい時計など、探偵たちが着用しているのと同じものを商品化しました。プレミアをつけるために限定生産にしたところ、売れることは売れたのですが数がしれているので儲かりません。テレビ東京にて2週にわたり放送したり、三軒茶屋での写真展なども展開。さらに映画祭やコンテンツマーケットへの出展も行いました。

 最後に勝負をかけたのが映画『THE CODE』で、暗号解読専門の探偵を尾上菊之助さんが演じます。日活配給で来年GW明け公開の予定です。この映画をヒットさせることによって、これまでのネットシネマも光があたるだろうと思っています。

 我々の失敗といえば、いろんなメディアに取り上げていただいたにもかかわらずビジネスにつなげられなかったことですかね。

ネットシネマの将来

 3年間、こんな感じでやってきたのですが、問題点としては、お金を回収することが難しいです。音楽の場合は、課金システムは軌道に乗ったと思います。これに対して、ネット番組は、テレビが無料なだけに課金システムの定着は難しいのではないかと思います。結果として、今のテレビのように見るのは無料で、広告で収入を得るしかないかなと思っています。

 かつては「ネットシネマなんて」といわれていましたが、今ではテレビ局や映画会社も参入してきました。これからは、コンピュータ上で、いろんな情報をとり、テレビや映画を見ることでしょう。また、パソコンの画質も50インチの大画面にも対応できるようにもなるでしょう。ネットシネマは画像がデータになり、入手・加工もしやすく、カメラさえあれば誰でも監督ができてしまいます。大変便利な時代であることは間違いありません。

 今後は、ネットシネマという言葉自体は、よく聞かれるでしょう。ときには短編の若手の映画人の登竜門的な作品だったり、連続するテレビドラマに近い作品であったり、我々が3年間やってきたこととは、また違った形でいろんなものがでてくるでしょう。

 しかし、私見ですが、ネットだけに頼るのは危険だと思います。京都にいてつくづく思いますのは、ネットでは伝わらない大切なことがあるということです。ネットに頼りすぎると、人と人とのコミュニケーション、もともとの状態を忘れてしまうのではないかと大いに危惧しております。

 京都というところは、革新的であり、常に新しいものを創っていこうとする気風にあふれていると思います。3年前、ネットシネマが日の目を見ないころ、ビジネスになるならないは別として、開拓するということが大変面白かったです。京都という街は、何か、割が悪いところでがんばり続けることによって、ひょっとしたらひっくり返せるのではないかと思わせてくれるところです。

トピックス