京都創生推進フォーラム
京都創生連続講座in東京 講演録

開催日 平成 26年2月7日 (金)【第1部】13:30〜16:30 【第2部】18:30〜20:30
会 場 野村コンファレンスプラザ日本橋 大ホール


趣旨説明 「国家戦略としての京都創生」の取組について
石田 洋也(京都市総合企画局政策企画室 京都創生課長)


 講 演
 
【第1部】<前半> 「京ことばで語る源氏物語 〜 野宮の別れ・「葵」「賢木」 〜」
女房語り : 山下 智子 氏(朗読家)

【第1部】<後半> 「方丈記から発心集へ」
講演 : 浅見 和彦 氏(成蹊大学名誉教授)

【第2部】   京町家・東京シンポジウム「智恵の継承 −京町家の再生を通して−」

パネリスト 西村 吉右衛門 氏
(ちおん舎 舎主)
  アラード・チャールズ・ジュニア 氏
(ウィントン・キャピタル・アジア《香港》 代表取締役社長)
コーディネーター
小島 冨佐江 氏
(特定非営利活動法人 京町家再生研究会 理事長)



趣旨説明 「国家戦略としての京都創生」の取組について


京都市総合企画局政策企画室京都創生課長 石田 洋也


 京都の町にはどのような魅力・特性があるのでしょうか。少し特長を紹介させていただきます。

 京都は、1200年にわたる歴史を積み重ねてきた世界有数の歴史都市、文化・芸能の継承ととともに、新しい創造を続ける文化芸術都市・宗教都市、また、日本人の心のふるさととして5千万人の観光客が訪れる国際観光都市、人口の約1割、約14万人の学生が学ぶ大学の町、学生の町、優れた伝統産業を基盤に先端企業が栄えるものづくり都市など、いろいろな顔を持っております。

 京都が誇る自然・都市景観、伝統文化は日本の貴重な財産であるとともに、世界的にも貴重な都市であり、宝であると思っております。京都の町を守り、育て、そして未来へ大切に引き継いでいくため、京都市では市民の皆さまとともに、全国に先駆け、町づくりに関するさまざまな取組を進めています。

 京都市では、大きく三つの分野にわたって取組を進めています。
 まず、景観の分野です。京都市では「新景観政策」を進めており、建物の高さの規制など、全国に類のない取組を進めています。とりわけ、屋外広告物につきましては、京都市で条例をつくり、派手な広告など、条例に違反する状態のものをなくしていく取組に力を入れているところです。

 また、京町家を守るために、市独自の制度として、「京町家まちづくりファンド」を設け、改修に掛かる費用を助成するなど、さまざまな取組を進めています。

 次に、文化の分野です。
 京都市では、世界遺産をはじめ、国宝や重要文化財などの保存・継承を進めています。同時に、文化財に匹敵する価値があるもの、長い歴史の中で引き継がれてきた建物や庭園、京料理、あるいは花街の文化など、そういった貴重な財産をこれからも守っていこうと、独自の制度を設けて取組を進めています。

 観光の分野では、外国人観光客や、国際会議の誘致などにも積極的に取り組んでいます。これらの取組は着実に成果を挙げていますが、残念ながら、京都だけがいくら努力をしても、なかなか解決できない課題が数多くあります。

 まず景観の分野です。例えば市内に約4万8千軒残っていると言われる京町家ですが、相続税や維持・管理の問題などで継承することが難しいケースが多く、毎年2%ほどが消失しています。

 また「建築基準法」ができる前に建てられたものは、増築したりする場合に、今の法律の基準に合わせたものにする必要があるため、伝統的な意匠、形態を保てないという課題があります。

 次に無電柱化ですが、電線や電柱のない美しい町並み景観をつくりだすためには、1キロ当たり約7億円という巨額の費用負担が必要になるという問題もあり、なかなか進みません。

 文化の分野です。伝統文化や伝統芸能・伝統産業など、京都には、他の都市にはない独自のものが数多く受け継がれています。しかし、担い手の高齢化や後継者の不足、そして伝統芸能を鑑賞される方が減ってきたり、伝統工芸品へのニーズが少なくなったりしているため、危機的な状況にあるのも少なくありません。

 このように、日本の原点とも言える京都の景観・文化は、担い手や所有者だけに任せていたのでは、この先、なかなか守りきれない状況にあると言えます。そのため、これらを保全・再生していくためには、国による支援が何としても必要になります。

 そこで、「国家戦略としての京都創生」という取組を進めております。
 このポイントは、「国を挙げて京都を再生し、活用する」というところで、京都創生を国の戦略としてしっかり位置付け、さらに国が推進する政策を実現するために活用してもらおうというものです。

 京都市では、この「国家戦略としての京都創生」の実現に向けて、三つの柱を軸に取組を進めています。

 一つ目は「国への働きかけ」です。こちらにつきましては、制度面や財政面で、京都が抱える課題の解決につながるように、京都市長を先頭に提案・要望を行っています。また、国の関係省庁との研究会をつくりまして、国の幹部職員の皆さんに直接、京都の実情を訴えながら、国と京都市とが一体となって、京都の役割や活用方策の研究を進めています。

 また、京都創生のPRとしては、ここ東京においては平成23年から毎年2月に「京あるきin東京」を開催しておりまして、今年で4回目の開催となります。本日の講座もその一環として取り組んでいます。

 これらの取組の中で、すでに実を結んだものもございます。
 景観分野では、京都の先進的な取組をきっかけに「景観法」、あるいは「歴史まちづくり法」という法律がつくられました。その結果、京町家や上七軒の歌舞練場など、景観や歴史面で重要な建造物を修理する場合に助成する制度がつくられ、これらを活用しながら建物の改修や無電柱化などの取組を推進しています。

 文化の分野での成果です。まず、世界遺産の二条城ですが、国の補助制度を活用して、建造物の本格修理に向けた調査工事や障壁画の保存修理を進めています。最近では、唐門を改修しました。

 次に、文化財の防災です。国が新たにつくった補助制度を活用して、清水寺と、その周辺の文化財や地域を火災から守るために「耐震型防火水槽」を整備するとともに、文化財に燃え広がらないような放水システムを整備しました。これは全国で初めての取組です。

 次に、「古典の日」に関する法律です。これは、11月1日を「古典の日」と定めて古典に親しもうというものですが、京都の強い働き掛けで、国会議員の有志の方に議員連盟をつくっていただき、法案を提出・成立していただきました。  

 最後に、「和食;日本人の伝統的な食文化」です。こちらは、昨年の12月にユネスコ無形文化遺産に登録されました。これもオール京都で、登録に向けて力を合わせて取り組んできました。

 観光の分野の成果です。こちらは観光庁と京都市とで共同のプロジェクトを立ち上げており、外国人観光客の誘致や、受け入れ環境の充実などに取り組んでいます。これは京都を世界トップ水準の外国人観光客の受け入れ体制を整えることで、全国のモデルにしようというものです。

 この他にも、成果があります。例えば、京町家の再生に対して、海外からの支援を頂いております。これは、京都市景観・まちづくりセンターや京町家再生研究会などがニューヨークで開催いたしましたシンポジウムがきっかけとなって、アメリカのワールド・モニュメント財団から京町家を改修して活用する二つのプロジェクトに対し、多額の支援を頂くことができました。

 京都創生の取組の意義ですが、この取組によって、国が新しい制度をつくったり、制度が見直されたりしております。これが京都自身のためになることはもちろん、全国の町づくりを京都がけん引する役割も果たしています。

 京都創生の実現に向けて、新たな取組にも挑戦しています。最近の主な成果として、外国人料理人が、日本料理のお店で働きながら学ぶことができるようにするための「入国管理法」上の特別措置は、地域活性化総合特別区域計画が国の認定を受け、外国人の日本料理店での就労が、全国でも京都市内に限った特別措置として実現することになりました。

 今後も、「日本に、京都があってよかった。」と実感していただけるよう、京都創生の取組をさらに進めてまいりたいと考えています。
 今後は特に、皇室の方に、京都の御所にもお住まいいただいて、京都と東京双方が都としての機能を果たしていく「双京構想」や、また新しい国土軸であるリニア中央新幹線「京都駅ルート」の実現にも力を入れていきたいと思っております。

 最後になりましたが、本日ご参加の皆さんにおかれましても、これを機会に、京都の魅力や、またその裏側にある課題を再認識いただきまして、京都創生の取組を、身近の人にもお伝えいただければ幸いです。

 皆さまのご理解、ご協力を得て、今後も、世界の皆さまから愛される京都であり続けるために取り組んでまいりたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 ご静聴ありがとうございました。





【第1部】<前半>  女房語り「京ことばで語る源氏物語 〜野宮の別れ・『葵』『賢木』〜」 


山下智子氏(朗読家)山下 智子 氏 (朗読家)


 源氏物語の前半のクライマックスともいえる「葵」と「賢木」の帖を、美しくやわらかな京ことばで語っていただきました。

<冒頭部分解説>
 源氏物語は当時の宮中にお仕えしていた女官、女房と呼ばれる人が問わず語りに、語り出すような口調で書かれております。

 今日は、その千年前の京都の言葉で書かれた物語を、百年ほど前の京都の室町あたりで話されていた言葉でお聞きいただきます。訳されたのは京都の国文学者の中井和子先生です。この京都というところは、気候が大変湿潤で、移ろいやすいこともあってか、目に見えないものの気配を聞くという文化が深まっていった場所であると思います。

 源氏物語は主格があえて伏せてあり、大事なところを直接的に表現しないことで難解であるとお思いの方が多いかと思いますが、物語というのは、もともとは読むものではなくて聞くものであったということで、今日は声に出して語らせていただきますのをお聞きいただくことで、少し難解さが軽減されるのではないかなと思います。

 きょうは「野宮(ののみや)の別れ」というテーマで『葵(あおい)』の巻と『賢木(さかき)』の巻のうちから、源氏の君と六条御息所(ろくじょうみやすどころ)の物語を特に抜粋してお聞きいただきます。





【第1部】<後半>  講演「方丈記から発心集へ」


山下智子氏(朗読家)浅見 和彦 氏 (成蹊大学名誉教授)


 今日は「『方丈記』から『発心集(ほっしんしゅう)』へ」というテーマです。鴨長明の作品で『方丈記』はご存じの方もたくさんいらっしゃると思いますが、彼には、もう少しいくつか作品があります。きょうの後半で聞いていただく『発心集』という仏教説話集、少し堅い感じがするジャンルですが、お話し申し上げたいと思います。
 「ゆく河のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつむすびて、久しくとどまりたるためしなし」
 『方丈記』の書き出しは、川に浮かぶ泡が、ぱちんと消えては、ぷくっと生まれる情景が目に浮かび、まるで音楽のように豊かな表現です。

 日本の古典文学は書き出しを読んだだけで情景が立ち上がってきます。例えば清少納言の『枕草子』では「春はあけぼの…」と、春の朝の景色が鮮やかに描かれています。日本の文学は、音楽的な効果も非常に考えられています。世界の文学もそうですが、特に日本の文学の場合は指折り数えてもいいくらい、美しいかたちを持っています。

 古典文学は、もちろん最後まで読むに越したことはありませんが、冒頭を読んだだけでも立派な読者であり、特に『方丈記』の書き出しは作品全体の姿が凝縮されていますので、1行でも読めば「『方丈記』を読んだ」と言えるくらいの価値がある文章です。

 鴨長明は1155年に京都の下鴨神社で生まれました。京都は鴨川や桂川などの大きな川に加え、小川、地下水、井戸水も豊富で、水に恵まれた土地です。下鴨神社には「糺(ただす)の森」という平安京以前からの原生林が残されており、大通りが近いにもかかわらず、とても静かで、せせらぎが耳に心地よく響きます。彼は、常に鴨川の水の流れを見てきた人物なのだと思われます。

 誕生翌年の1156年に保元の乱、その3年後に平治の乱が起こり、京都が戦乱に包まれる中、彼の人生は始まりました。彼が生涯を終えたのは1216年ですから、もうすぐ没後800年になります。『方丈記』は、彼が人生で体験したさまざまな天災や事件を、迫真の描写で書き記した作品です。

1177年に「安元の大火」という京都の3分の1を焼き尽くした大火災がありました。彼の記録によると、発火場所は樋口富小路、現在の万寿寺通と麩屋町通の交差点で、火の手は扇型に広がったそうです。
 「遠き家は煙にむせび、近きあたりはひたすら焔(ほのほ)を地に吹きつけたり。空には灰を吹き立てたれば、火の光に映じて、あまねく紅なる中に、風にたえず、吹き切られたる焔、飛ぶが如くして、一、二町を越えつつ移りゆく。その中の人、うつし心あらむや。或(あるい)は煙にむせびて、倒れ伏し、或は焔にまぐれて、たちまちに死ぬ」
 炎の猛威と恐ろしさ、人が煙に巻かれて倒れ、息絶えていく姿を詳細に描いています。

 日本の古典文学は、世界にもないくらい非常に長い歴史を持っております。およそ1500年前から日本の文学は、いろいろな形で残されているわけで、こんなに昔のものが残っている国は、そう、ざらにはありません。

 日本の大きな本屋さんに行けば、岩波書店の新日本古典文学体系や、新潮社の新潮日本古典集成、小学館の日本古典文学全集など、誰でも手に取って読むことができるように売っています。そんなことがあるのは、実は日本くらいなのです。ほかの国では古典なんて、あまり読まないのです。そういう点では、すごく興味を持つ読者が多いのだと常々感心しています。

 『方丈記』の特徴として、日本で災害を取り上げた初めての文学であると考えてよかろうと思います。『方丈記』のそうした価値や特徴は、描いたというだけではなく、描き方が極めてリアルなのです。火がどうだこうだ、人が息を詰まらせて死んでいったということが、迫真の描写で、写実的に書かれている。これもやはり日本の文学史の中では、特筆に値するだろうと考えています。

 1181年には「養和の飢饉(ききん)」が起こり、多くの人々が倒れました。鴨長明は2カ月かけて町中を歩き回り、遺体の数を数え、4万2300体だと記しています。当時、京都の人口は約10万人ですから、半数近くの人が飢饉で命を落としたということです。
 飢饉の場面では、赤ん坊がお乳を求めて、息絶えた母親のおっぱいを吸っている様子が書かれています。ほかにも、親が自分を二の次にして、子どもに食べ物を与え、おいしそうに食べている姿を見ながら亡くなるという、愛情の深い方が先に落命する悲惨な状況も記されました。

 中世の文学は平安のような、みやびやかさには劣りますが、逆に現実のすごさ、すさまじさを直視する、直叙する、はっきり書くところが、特徴だと思います。
 鴨長明は後のためとは言わなくても、これは大事なことなのだという思いに駆られて『方丈記』を書いたのではないかと思います。

 1185年には、滋賀県の堅田を震源地とした「元暦の大地震」が発生し、どうやらその際に,琵琶湖に津波が起こったようです。
 「山はくづれて、河をうづみ、海はかたぶきて、陸地(ろくぢ)をひたせり。土裂けて、水湧きいで、いはほ割れて、谷にまろびいる。なぎさ漕ぐ船は、波にただよひ、道ゆく馬は足のたちどをまどはす」
 山が崩れ、津波が起こり、地面が割れて水が吹き出し、立っていられないほどの大変な事態が伝わってきます。その後、3カ月にわたる余震の様子を鴨長明は克明に記しました。
 「世の常、驚くほどの地震、ニ、三十度振らぬ日はなし。十日、二十日過ぎにしかば、やうやう間遠になりて、或は四、五度、ニ、三度、もしは一日まぜ、ニ、三日に一度など、おほかたそのなごり、三月ばかりや侍りけむ」
 このように無駄がなく、かつ仔細に描写する表現は、鴨長明の最も得意とするところです。

 『方丈記』だけでなく、同じく彼の著書である『発心集』にも災害の様子が描かれています。「武州入間河(ぶしゅういるまがわ)沈水の事」という段は、大きな堤防を築いて暮らしていた村で、豪雨による洪水が起こり、家が流されたという話です。
 「水ただ増(まさ)りに増りて、天井までつきぬ。官首が妻子をはじめて、あるかぎり天井に登りて、桁梁に取り付きて叫ぶ。この中に、官首と郎等とは葺板をかき上げて棟に登り居て、いかさまにせんと思ひ廻らすほどに、この家ゆるゆると揺ぎて、つひに柱の根抜けぬ。つつみながら浮きて、湊の方へ流れ行く」
 どんどん水かさが増え、天井まで浸水。村長の妻や家族は助けを求めて叫び、村長と下男は屋根の上に登り、どうしようと思案をしているうちに家が揺れ、土台から柱が抜け、流されてしまった。
 そして,洪水の後には、家が壊れ、遺体が束になって打ち寄せた惨状も、写実的に書かれています。

 鴨長明は災害に対しての表現力が抜群で、特にこの辺りの描写は腕が冴えているところです。『発心集』は仏教説話集でありながら、『方丈記』に通じるリアルな描写がある点でも注目すべき作品といえるでしょう。
 鴨長明は目の前の事実を正確に記すため、火事で焼けた軒数や、余震の回数、遺体の数なども全て自分で数え、とにかく現場を「歩く」、自分の目で「見る」、自分の言葉で「書く」という姿勢を貫いた人です。見ることに関しては、何よりも正確に、とことん見ていこうという姿勢をずっと持っていたと同時に、人間の心、内面に対する厳しい姿勢を持っていました。

 その例として『発心集』の「老尼、死の後、橘の虫となる事」という話があります。病気のため、明日をも知れぬ命のおばあさんが、隣に住むお坊さんの家にあるミカンの木を見て、死ぬまでに一度食べたいと言いますが、お坊さんは一つも譲ってくれませんでした。
 「この病人のいはく、「いとやすからず。心憂きことかな。病すでに責めて、命、今日、明日にあり。たとひよく喰ふとも、二つ三つにや過ぐべき。それほどの物を惜しみて、我が願ひをかなはせぬは、口惜しきわざなり。我、極楽に生れんことを願いひつれど、今にいたりては、かの橘を食みつくす虫とならんと。その憤りを逃げずは、浄土に生るることを得じ」といひて死ぬ」
 病気で弱り、多くは食べないのに、願いがかなわないのは無念だ。極楽往生を願っていたけれど、害虫になってやろうと言って、おばあさんは亡くなります。その後、お坊さんが何も知らずにミカンをむくと、中に虫がおり、別のミカンをむくと、また虫がいる。全ての実に虫がいたので、結局、お坊さんはこの木を切ってしまいました。おばあさんの悪念が、ありありと描かれていますね。

 もう一つ「四条の宮の半者(はしたもの)、人を咒咀(しゅそ)して乞食となる事」という話です。出世して国使になった男が、宮中に仕える女性に、一緒に地方へ下ろうと言うと、彼女は喜んで職場に寿退職を言って回り、旅支度をして迎えを待ちました。しかし、一向に男が来ないので問い合わせると、正妻を連れて旅立ったと聞かされ、憤慨します。
 「悪心おこるなどはおろかなり。人のまづ思はん事も心憂ければ、その後、宮へも参らず、やがてその日より、きよまはりして、精進潔斎して、貴船へ百夜参りして」
 職場には合わせる顔もなく、彼女は恨みを晴らしてくれる神として有名な京都の貴船神社へ丑の刻参りをしたところ、国使の家で異変が起こります。正妻がお風呂に入ると、天井から人間の足がぶら下がってきたので気を失い、そのまま帰らぬ人となりました。貴船に祈った女性は喜んだという話です。

 鴨長明は災害のみならず、人間の内面の奥深いところ、あまり人がのぞきたがらない、書きたがらないところを遠慮しないで書いていました。人間の妄念や悪念、邪念を書こうという執筆の姿勢は、最後まで保たれていました。

 『発心集』は救われない話ばかりではなく、解決らしき考えも記されています。その答えは、和歌や音楽、花や月など、芸術や美しい風景に心を遊ばせる「数寄(すき)」です。鴨長明自身も琴を弾き、和歌をつくることで、俗世の嫌なことを忘れ、苦しい心を解放したようです。現代人も、音楽会、美術鑑賞、観劇、旅行、温泉、食べ物などを楽しむことで、いろいろな悩みや不安から解き放たれることがありますね。

 これから京都は梅の季節です。北野天満宮では立派な梅苑が開かれ、知恩院は小さいながらも美しい紅梅があります。鴨長明が生まれた下鴨神社は、尾形光琳も描いたという紅梅があり、太鼓橋を背にした姿は絶景です。ぜひ京都の花を楽しみ、心を遊ばせてはいかがでしょうか。







【第2部】京町家・東京シンポジウム「知恵の継承 ―京町家の再生を通して―」


パネリスト
西村 吉右衛門 氏(ちおん舎 舎主)
アラード・チャールズ・ジュニア 氏(ウィントン・キャピタル・アジア《香港》代表取締役)

コーディネーター 
小島 冨佐江 氏(特定非営利活動法人 京町家再生研究会理事長)




小島

 昨年も、この同じ場所で京町家のシンポジウムを開催いたしました。たくさんの方に来ていただいて、町家について、いろいろな方が興味を持ってくださっていることを、とても心強く思いました。さらに今年も、このようにたくさん来ていただきまして、大変ありがたいことであり、町家も変わったなという感覚を持っております。

 昨年のシンポジウムのテーマは「技の継承」でしたが、今年は「智恵の継承」です。お二人にパネラリストをお願いしました。
 西村さんは、京都で代々続いている旧家です。よく、京都の人は、「先の大戦」は応仁の乱と言うと揶揄されるのですが、西村さんのお話には本当に応仁の乱が出てきます。
 もう一人は、京町家に住んでおられる米国人のアラードさんです。海外の方々にも町家を力強く支えていただいています。



アラード

 私が日本に来たのは1986年です。「ジャパン・イズ・ナンバーワン」という時代でしたが、私は現在でも変わらず日本は世界一だと思っています。
 私が町家を買ったのは日本への恩返しです。私の最初の就職は日本で、東京で家内と出会い、長男が生まれ、日本とは切っても切れない関係だからです。

 なぜ、その様な発想に至ったかというと、私の父が、ニューヨーク近郊のナンタケット島に住んでいることが関係しています。島の人々が大切にするのは伝統を大切にし、現在の同島の風景は1800年代と変わりません。建物デザインは厳しく規制され、ペンキを塗るのでも委員会の許可が必要です。
 私と家内が考えるリユースの原点は、島内の多目的ホールである「ドリームランド劇場」です。昔のビルを建て直す発想はではなく、そのまま生かして別な目的に使おうという考え方です。

 木造の京町家は、しっかりしていて地震にも強く安全に暮らせます。もとは織屋さんであった我が家も、住宅として十分な所になりました。リユースの発想は、アメリカと日本に共通する発想ではないかと考えています。



西村

 私は13代目の西村吉右衛門を襲名しています。家業の千吉株式会社に入社して社長に就きましたが、2003年に倒産してしまいました。残った建物を生かして2004年に「ちおん舎」を始めて10年になります。
 私の家は460年続いており、もとは平安京創建のために京都へ移転してきた家です。妻の実家も、500年続く酒屋です。母の実家も400年続いている呉服店です。私は長い伝統と歴史を背負っています。

 「千吉」は、「千切屋吉右衛門」の名から取っています。もとは春日大社の宮大工で、応仁の乱で近江甲賀の西村に疎開後、1555年に京都の室町三条に戻り、主に法衣製造を手掛けていました。春日大社に奉納していた供花の台の名から「千切屋」の屋号としました。
 温故知新の「知」と「温」から「ちおん舎」と名付け、千吉の「千」の意味も備えました。200坪ほどの大きな町家で、27畳半の大広間を使って伝統的な着物の展示会やコンサートなど多目的にイベントを開催しています。

 不思議なことに、「ちおん舎」で開催するワークショップや会議の進行は非常に進行がうまくいきます。祖先から守っていただいている徳の力や、人の輪をつなぐ「場の力」が町家に宿っているおかげではないかと日々感じています。



小島

 町家には、単に血のつながりだけではない、「先祖の徳」や「人の縁」などが作用して長い時間の塊ができるのだと思います。
 アラードさんは、西陣のお宅をご覧になって、すぐに住もうとなられたのか、すごく興味があります。



アラード

 京都をあちこち回り、どういうふうに暮らすか、どこに暮らせばいいかを考えました。京都では色々な楽しみがあり、飽きない町です。漠然と町家がいいと思いました。吹き上げ(吹き抜け)があれば一番うれしいと考えていました。そういう空間があれば何かと開放感があるのではないかと思っていました。町家には改善する楽しみがあって飽きません。町家の空間を自分で、どういう住み心地にしていくか、理想的な夢のある場所をつくる楽しみがあります。改装の過程で、扉や襖、障子など、以前のものでも使えるものが多く、リユースすると十分に経済効果があると感じました。私には、以前に町家を使っていた人から引き継いで、次の世代に渡したいという思いがあります。

 私の近所の公園で、セメント製の滑り台に変わる遊具を、皆さんと一緒に設置できました。遊具一つでも公園は変わり、子どもたちも喜んでくれました。簡単なものでも風景が変わって活性化になります。実は小さなものだけでも十分喜びがあります。私たちができたのはわずかなことですが、誰もが安全に楽しく遊び憩える公園をつくりたいという気持ちがきっかけです。



小島

 すごく楽しいお話でした。多分、京都は、このような外から来られた方の力によって、いろいろなことが活性化して、どんどん変わっていくのだろうと思います。
 京都の人というのは、外からのまったく拒否せず、上手に取り込んで消化して自分たちの力としていくという、何か伝統的な流れがあると思います。
 最近の町家とか、京都のいろいろな新しい動き方というのは、西村さんは、どのようにお考えになりますか。



西村

 私は、建物としての町家をそのままの形で後世に伝えていくのではなく、むしろ、これからの町家は、人と人の「関係の質」を高めるような心の触れ合いの場と捉えることが大事だと考えています。

 先ほどの公園の話でもそうですが、昔は町内の人が来て、みんなその辺で立ち話をしていました。江戸時代は井戸があって井戸端会議と言いました。何かそういうことが、これからはすごく大事なことではないかと思います。

 特に今後は、地域の高齢者が孤立しないように、それぞれが触れ合う場所というのが町家のこれからの新しい役割だと思います。
 京都は、あまり外部の人を家の中に上げないという事がありましたけれども、「ちおん舎」を始めてから、人の集まりに家自体が喜んでいます。町家独特の坪庭に珍しい花が咲き始めるなど、目に見えない大きな影響を感じています。



小島

 私も時々思うのですが、「場の力」と言いますか、町家が人を呼んでくれるというのは、どなたにお話を伺っても、そういうことをおっしゃいます。時間を経過した建物だからなのか、そこにお住まいの方々のご努力と魅力なのか。一概に判断できるものではないと思いますが、やはり木造の伝統的建物には、その建物自身にすごく力があって、それを維持していこうという人たちの支えとなって、それがまた次の力を呼んでくるのではないかと思います。

しかし、残念なことに、その町家も年間2%ずつ姿を消しています。これがどんどん続くと、町家は瞬く間になくなってしまいます。
 本来、自分たちで町家に手を加えるのが当然でしたが、いまはカタログ販売のような雰囲気で選ぶ方が増えてきました。改修前の町家を見た瞬間、引いてしまう方も多々おられます。その点、アラードさんはリフォームを楽しまれているように感じますが、その原動力はどこになるのでしょうか。



アラード

 やはり家内を喜ばせたいというのがありました。特にキッチンについては、自分の夢や理想とする場所を作るという楽しみがありました。
 歴史ある都市を支える方法はいろいろあり、町家は、住むだけでなく、使うことも重要だと思います。町家のレストランであれば行って食べてみる。人が集まればリユースのヒントも生まれ、新しいコンセプトの店ができて活性化します。公園の話もそうですが、次の世代にどういう町を渡したいかは大事なことです。「古い=ださい」ではなく「古い=新しい」のです。



小島

 いまのアラードさんの「古い=新しい」というお考えは、西村さんの温故知新と通じる部分があります。私がアラードさんのお宅を拝見して一番驚いたのは土間の仕上げです。京町家の土間は、土足のため、降りるときは毎回下駄に履き替えなければなりません。しかし、アラードさんは土間を床と一体化させ下駄を履かずに降りられるように使われています。この発想の柔軟さに感心しました。あれはご家族のアイデアだったのでしょうか。



アラード

 家内のアイデアです。建築家との相談ももちろんありますが、自分が「何をやりたいか」や、「何が欲しいか」を考え、相談して作り上げたものです。



小島

 そういう意味で、古い物の形をきれいに残しながら新しく使われていますね。しかし、このような考え方は特に若い人には受け入れないことがあり、中が全て現代風の住宅に変わっている町家もあります。それを見ると、私はもったいない気がします。古い物の形を残して新しく使うという考え方を、見つめなおしたいと考えています。



アラード

 古い物でも磨けば十分使えます。同時に、古い物を再生すると経済的でもあるかなと思っています。



小島

 「古いもの」、「新しいもの」というお話がありましたが、西村さんはどうお考えですか。お宅はとても立派で、イベントには多くの人が集まっておられますが、日常生活に不便さはありませんか。



西村

 町家の一角に、自分たちのスペースも確保しています。ただ地球の資源も枯渇していますし、何か不便さとか非効率さを楽しむようなことを、みんなで考えなくてはいけない時代だと思います。

 「三条室町 聞いて極楽 いて地獄 おかゆ隠しの長のれん」という昔の家風歌があります。これは、店の主人であっても、おかゆが主食であるような質素な生活をしていたことを示しています。バランスの問題だと思いますが、少し京都の町家の不便さも楽しもうという発想が必要なのではないでしょうか。
 昔の着物の生地を利用した小間物などもこれからの発想ではないかと思います。新しいファッションのアパレルを取り扱うのではなく、何か昔の物を使った、昔の漆を使った店とか、古い物を使った物に逆に新しい命を吹き込むみたいな、ショップをしながら町家を維持するとか、そこに人が集うような学ぶ場所です。

 今、私が考えているのは、そこで料理教室とか、お茶事とか、あまり目的を定めずに、そこで人が集まって料理をつくったり、食べたりしながら、ちょっとした、あるいは深いコミュニケーションができる場づくりです。



小島

 今後、私たちは大型町家をどのようにしていくかということも考えなければなりません。また、京都にある町家は、だいたい一番古いもので120年、130年、新しいものでも八十数年というところです。100年ぐらいは持って当たり前ですね。ちゃんと維持すれば、修理や、手を入れて磨けば、もっともっと持つものです。併せて、京都の伝統的な産業というのは、着物でも、器でも、代々のものがたくさんあって、そんなにたびたび新しくするようなものではなかったと思います。色々な物を大事に使うというのが、きっと「智恵の継承」だったと思いますが、今では全てが使い捨て文化になってしまい、古いものに対する考え方は様変わりしているのが残念なところです。

 アラードさんの古いものに対する考え方は、やはりナンタケット島が影響しているのでしょうか。



アラード

 ナンタケット島の事例にはヒントがあり、京都でも使えると思いました。
 やはり京都は、ずっと昔から、外との対話を続けてきました。外との対話、外の意見、外の発想の新しいものを受け入れて自分のものにするということです。これからもそうであってほしいと思っています。



小島

 そういう中で、私たちが次に考えないといけないのは、いま私たちが考えていることを、どのようにして次の世代に引き継いでいくかという事になります。そのための手だてのようなものがあれば、教えていただきたいと思います。



アラード

 多くの国の平均寿命は100年前に比べ倍近くに延びています。となると後の半分をどう過ごすべきか。一人ひとりが考えて、次の世代には、自分の発想やアイデンティティーを渡すのが一番大切です。



西村

 ハッピーに生き生きとしていることを子どもたちに一番伝えていきたいです。昔の人の考え方や価値観は、家訓などで文章に残っています。自分の想いや考えを言葉で残すのも大事と考えています。



小島

 私たちはまず、外観や建築物としての町家という事を考えてしまいますが、しかし、それは本筋ではなく、その中にあるものをどのように次の世代に引き継いでいくのかという事が、結果として町家の保全につながるのではないかと考えています。

 代々京都にお住まいの方たちの知でつながった「線」と、色々な方々が「点」として京都に入ってくださって、一つの流れになったのが、まさに今日のお二人のお話です。
 その中で、ご自分たちの行動を外に見せることによって、いろいろな方の共感が得られて、活動が広がる期待が持てるのではないかと思います。

 そして、アラードさんは、先ほどの遊具の取組など、いろいろなことで町に貢献されています。これまでなかなか私たちが、見えてこなかった部分というのが、逆に刺激になって、一つの活動の方向性を示しているように思います。

 もう一つ、最近よく思うことは、寄付についてです。今回のシンポジウムで私たちが多大な協力を頂いたワールド・モニュメント・ファンドもそうですが、寄付の行く末を見守るということをなさっています。単にお金を出してそれで終わりということではなく、その先々、どうなっていくのかを常に見守ってくださっていることが本当によく分かるようになりました。

 京都はもともと、昔の小学校は地域の寄付で建ったと、よく言われますが、子どもの行く末を見守るのは地域としての責任ということで、そういうことがなされてきたのだと思います。
 今日は、アラードさんの取組にそういうところをお見受けしたので、これからの京都はとても心強いのではないかと思っております。
 今後は、町家でどのようなご活動を考えられているか、もう一度お聞きしたいと思います。



西村

 外面だけでない、心の触れ合いを感じる質の高いコミュニケーションができるようにしたいです。人間には得意と不得意分野があり、神様と煩悩の両方を持ち合わせています。神の部分・善良な部分に光を当てて触れ合うようにすれば誰もがハッピーになるはずです。そう考えると不思議に、またそういう人が集まりだして楽しくなる。後半の人生では、人と人とのいい関係づくりに貢献したいと考えています。



アラード

 ユダヤ教には「世を直す」という言葉があります。自分一人で世を直すことは不可能ですが、小さくても努力すれば、だんだん世はよくなりますということですので、私も小さく近所で努力しています。



小島

 今日はとてもいいお話を伺うことができました。きっと町家も喜んでいることでしょう。ありがとうございます。








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