盆栽の歴史

 日本で盆栽が発展する基礎となった一つには、花木をめでる日本人の特性がありました。すでに奈良時代の『万葉集』には、小さなハギの花を詠んだ歌が多く登場します。さらに平安時代では、『枕草子』の作者である清少納言が、「なにもなにも、ちいさきものはみなうつくし」と述べています。大きいものよりも小さいものを愛好するところに日本独自の美学があるのです。鎌倉時代になると、鉢植えの花木が日本で鑑賞されていたことが当時の絵巻から確認できています。

 さらに、室町時代には、品種改良の技術が日本の盆栽の発展に大きく貢献しました。京都の公家の間でツバキの改良が行われ、茶席の生け花にワビスケツバキがよく使われました。ワビスケツバキは小さく質素な花です。ツバキは本来、高く育つ木なのですが、改良して花を小型にすることで、狭い空間で観賞するという、日本人独特の表現技法が生み出されたのです。 凝縮するというのは、単に小さいだけではなく、大きく広い世界を小さいものであらわすということです。盆栽を今回のテーマにもあります「小宇宙」と表すことがあるのはそのためです。中世の禅のお坊さんたちのなかには、盆栽を桃源郷や不老不死の世界に見立てた方もいたほどです。

 江戸時代、二代将軍秀忠は盆栽を愛好し、特にツバキを熱心に収集していたことが記録に残っています。ツバキは京都においても、後水尾天皇をはじめ宮中で大流行しました。江戸と京都のそれぞれの最高権力者が、お互いに花を愛し、影響し合っていたというのは、たいへん面白いことです。江戸時代と言うと、どうしても江戸が中心である印象がありますが、それまでに京都に蓄積されていた文化が土台となって、江戸の文化に大きく影響しているのです。

 江戸時代中期には、小品盆栽といわれる樹高20センチまでのミニ盆栽が、庶民にまで普及します。小さな草木の品種改良も以前に増して進められ、野に咲くフクジュソウやショウブ、アサガオ、ツツジやサツキ、ヒバの枝刈りなども大流行しました。ヒバなどの古典園芸植物は小型の植物で、鉢植えか庭植えとして限られた空間に植えられる、地味な存在です。こういった植物を愛好したのが、江戸時代の中流階級と庶民です。強いて栄達を求めず、ほどほどの生活を営む、小さな世界に幸福を満たすという心を、小さな植物に託していたといえます。

 江戸時代に庶民にまで花をめでる習慣が根付いたのには、江戸時代が総じて平和であったことが一因として挙げられるでしょう。平和でなければ、植物を見ても感動が湧きませんし、盆栽も楽しめません。平和というのは、文化が生まれる大切な条件なのです。

世界に羽ばたく「BONSAI」文化

 日本人の花や盆栽の愛好ぶりは、幕末以来、日本を訪れた多くの外国人の賞賛の的になりました。江戸後期に日本を訪れたイギリスの園芸学者、ロバート・フォーチュンは、訪れた農村で、どの家にも庭がある風景を見て、日本の文化水準を非常に高く評価しました。

 江戸時代の人々は、われわれよりもずっと低い生活水準で暮らしていたと思われます。そうした人たちの暮らしにも花が飾られていて、それが日本を訪れた外国人によって高く評価されたのです。日本独自の美意識とともに育まれた盆栽は、明治6年、ウィーンの万国博覧会に出展され、アートとしての盆栽が世界で初めて紹介されました。

 明治34年に、イギリス人の女性のエセル・ハワードが、元薩摩藩主、島津家の家庭教師として招かれたとき、盆栽のウメの木にいたく感動したという記録が残されています。小さな盆栽に美を感じるというのは、日本独自の芸術であると同時に、世界的に通用する芸術であることは、すでに明治の時代から、日本を訪れた外国人によって証明されているのです。

 趣味として庶民に広がった盆栽は、昭和9年に開催された第1回の国風展で、初めて美術館に展示されました。当時は、美術館に土や水が入っているものを展示することは問題視されたのですが、雑誌『盆栽』の編集発行人だった小林憲雄さんが、「盆栽が単なる趣味園芸の範囲で収まっているのは心外である。盆栽は、絵画、彫刻とともに立派な造形芸術のみならず、世界唯一の日本の芸術として燦然と国際的に光を放たんとする」と主張し、それがきっかけとなって盆栽が芸術として認められるようになったのです。

 昭和45年の大阪万博では1千点もの盆栽が次々に展示され、一気に世界中に広がりました。現在、盆栽は「BONSAI」として世界共通語となり、四季のある多くの国々で販売されています。韓国でもブームですし、イタリア、ミラノには盆栽ブティックがあります。アメリカにも100以上の愛好家団体があります。そのほかスイス、オランダなどでも盆栽が珍重されており、盆栽の世界大会が開かれるほどです。

京都で生まれたわび・さびの美意識

 盆栽を語る上で欠かすことのできない言葉に「わび・さび」があります。こればかりは、外国から来た方にどれだけ説明しても、なかなか理解してもらえない、日本人独特の美意識の一つといえます。わび・さびをひとことで表現すると、質素で静かなものとも言えるでしょう。わび・さびの文化ができたのは、室町時代の京都で茶の湯が発達したことからです。ですから京都と盆栽というのは、非常につながりが強いのです。

 盆栽を始めたからといって、すぐにわび・さびが理解できるわけではありません。最初は、太くて、短くて、かっこうがよく、若いものばかりに目が向きがちですが、盆栽に深く親しみ、新たな木を知るごとに、古く、質素で、ほんとうに清らかな木に、だんだんほれ込んでいきます。そのときに初めて、わび・さびの極意がわかるものだと、私は考えております。わび・さびを知らないから盆栽ができないと、落胆されることはありません。盆栽を大切にして、長く栽培してくださったら、いずれ自分で、わび・さびのよさがわかってくるはずです。

盆栽を通して、人の輪、人生を育てる

 今、日本にはものがあふれ、経済的には豊かな国になりました。しかし豊かさというのは決してお金だけではかるものではないと、私は信じています。生活のちょっとしたスペースに、花や草木、盆栽を飾ることは、日本の伝統的な知恵であり、もう一つの豊かさでもあったのではないでしょうか。そういったほんとうの豊かさを、盆栽や鉢植えをきっかけとして、今一度、見直していただければ、とてもうれしく思います。どんな花や樹木からでもかまいません。生活に花や木を取り入れることから実践していただければ、それが日本の豊かさ、文化の向上につながっていくことでしょう。

 私が主催している盆栽教室の生徒さんのなかで、会話もなく、ぎくしゃくしていたのに、盆栽を始めてからは仲むつまじく木に水をやるようになったご夫婦や、昼間に太陽の下で盆栽のお世話をすることで、明日への活路を見いだした方が何名もいらっしゃいます。盆栽をすることは、精神の癒やし、安らぎにもつながっていくのです。盆栽は育てる趣味、生かす趣味なのです。

 盆栽から生まれた友人関係もたくさんあります。私はそれらの関係を「盆友」と呼んでいます。仕事や家庭環境はまったく違うけれども、ただ盆栽が好きだという人たちが集まり、上下関係もなく、盆栽のことや人生のことを語り合う会もたくさんあります。

 私たち人間は、歳を重ねると枯れてきますが、盆栽は古さのなかで美を表現し、ときがたつたびに味が出て、わび・さびが加わることにより、素晴らしい作品に育っていく芸術です。私たちも人生のわび・さびを知り、人生をも到達したようないい人間でい続けたいというのが、私が扱っている盆栽を通しての、みなさまへの願いです。   (終了)


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