伝統産業の継承

 京都の大原野で工房をかまえ、佛像を彫っております松本明慶と申します。本日は、この京都創生連続セミナーの場をお借りしまして、後継者の育成についてお話したいと思います。

 今日の伝統産業は、まさに後継者不足です。私の工房には現在40人の弟子が在籍し、日々修行を積んでおりますが、京都の他の佛所で5人以上の弟子が在籍している工房は、残念ながら数えるほどしかありません。どこの工房も年に1人や2人志願者がやって来るのですが、途中で辞めてしまうようです。そして職人が辞めてしまうと、その工房は技術の伝承と向上ができず、新たな職人の受け入れもままならず、ますます悪循環を繰り返すことに陥り易いようです。

 伝統産業は生き残りが難しいと言われますが、1500年も継承され続けた佛像彫刻の仕事が急になくなるということはありません。しかし巷では、人件費が安価で粗悪な仕事の外国製品が市場に満ち溢れている現状です。佛像彫刻に携わる人間は、日本の風土や文化を五感で吸収しながら、神佛を尊び、佛教の目指す境地を想って誠実な仕事をし、そして後継者を育成することが大切であると、痛感する毎日です。

「弟子をとっても数年で辞めてしまわれると、もう嫌になる。」と嘆く伝統産業関係者の声をよく耳にするのですが、それでは自分がつないだ伝統を自分で捨てることになってしまいます。なんとか困難を乗り越えて後継者を育成し、それぞれの伝統を次世代へと繋いでいかなければなりません。

師匠の使命

 現在では、かつての職人のように住み込みで師匠の世話をしながら、小遣い程度の給金で辛い修行時代を経て一人前になるという職人は稀です。では伝統産業に従事する者はどのようにして後継者を育成すればよいのでしょうか。

 やはり時代にあった教育方法を採るべきです。例えば平安時代と現代の話し方が違うように、育て方も違ってくると思うのです。

 世界のブランド、エルメスのデュマ・エルメス会長が工房に来られた時に、資金面・材料の調達・弟子の育成・販路の開拓について質問されました。あれだけの会社でも、伝統産業の継承は大きな課題なのでしょう。当時私は、「そういう一切の不安を感じさせずに、技術を習得できるよう指導することが師匠の務めであり、仕事に夢や希望を与えられないようでは、師匠の資質が無いのだ」ということを回答しました。すると会長は、「私も同感である。」と握手を求められ、意気投合しました。

 次に私の工房では、朝は簡単に身の回りを清掃し、9時までにスタンバイすることから1日が始まります。あとは、弟子おのおのの技量に合ったことしかさせません。弟子が大きく成長するためには、その人の適正に応じた、今できることをしっかりと見極め、それに応じた技術をしこむことです。弟子がまだできないような高度な作業を強いても、無駄になるだけです。私もそうして育てて頂きました。

どれだけ伝わるかが大切

 職人の世界では、「見て習え」とか「人の仕事を盗め」という言葉をよく耳にしますが、見るだけで佛像が彫れるようになった人は一人もいないと思います。師匠から教わり、実際に何度も何度も、石に噛りつくような思いで彫ってこそ、身につくものなのです。 

 師匠や兄弟子から叱られ注意されながら、我慢して育つ人は稀です。弟子が投げ出すこと無く、のびのびと成長していく為には、どれだけ喜びや達成感を味わうことができるかが、大切です。

 ただ私を含めて、人の言うことを聞いて、即すべてを理解できる人は殆どいないと思います。ですから、私が指導した内容を、相手はどこまで理解できたのかしっかりと掴まなければ、こちらの意図することを十分に教えることはできません。どのように伝わり、どれだけ相手に理解されたかが問題なのです。その為には、教える側も根気を要します。

 そういう訳で、やり筋を丁寧に教え、同じことを何度も繰り返して、本人が納得するまで粘り強く教えるようにと、日々努めております。お蔭様で、工房では多くの弟子が育ちつつあります。そして教えた技を習得し、弟子が瞳を輝かせながら仕事をする様子を見ることに、大きな喜びを感じています。教えることと弟子の両方を好きでなければ、できないことかもしれません。

守るだけが伝統産業ではない

 松本工房において、「秘伝」というものは存在しません。教えて簡単に真似できるようなものは、秘伝でも何でもないのです。私は自分の知識や技術を、弟子にすべて伝授します。 

 技術を隠蔽して自分だけのものとして守りに入ってしまうと、自分自身の向上心は萎えてしまいます。手の内をすべて教えてなお、圧倒的な技量を示してこそ、師匠ではないでしょうか。そして閉鎖してしまった環境に進化はありません。良い発見を包み隠さずオープンにし、皆が健全な競争をすることで、活力が生まれるのです。

 何より、この佛彫の世界は彫っても彫っても彫り尽くせない、深淵なる世界なのです。あえて申すならば、教えても真似できないものこそ奥義なのかもしれません。私の願いは、弟子たちがそんな奥義を極める作品を、いつの日か生み出してくれることです。

 それから、単に技術を伝えコピーするだけでは、「あれは前に見たことがある。」と思われます。衣服や自動車のデザインが多様に変化するように、経緯を良く踏まえた上で、佛像の表現方法や工法等もどんどん進化して然るべきです。そして弟子の中から誰かが牽引車となり、新しい道を切り開いて行かなければ、伝統産業は絶えてしまいます。

 また伝統産業といえども、今日電気機械は作業に必要不可欠の工具となっていますし、昔ながらの蝋燭の灯りのもとでは、夜間の仕事は困難です。なおかつ大佛を大八車に載せて九州まで運ぶこともできません。その時代時代の最先端の技術を導入して、発展していくのが伝統産業だと思います。

菩提心が礎

 ただし、現代のものがすべて優れているという訳でも、決してありません。風土に根付いた宗教心や信念というものが、昔に比べて希薄になったことは否めない事実です。

 私は日本人の心で一番大切なものは、菩提心であると思います。これは悪いことをした時に「しもた。佛さんにお詫びせなあかん。」と思う心です。生きている限り、人間にはどうしようもない煩悩があり、我々は菩提心の助けを借りて、この煩悩に負けないようにと、佛像彫刻に励んでいます。

 また大原野の私の工房に来られる方々は、「弟子のしつけが良く、感心する。」と褒めて下さるのですが、「おはようございます。」「こんにちは。」「ありがとうございます。」という、人として当たり前の挨拶を交わすだけなのです。ましてや志を持って入門した者が、一生懸命仕事に励むことは、極めて当然で自然な姿であり、これを感心されること自体が不思議で、嘆かわしい時代になったというべきかもしれません。

 そして昔から「啄(そったく)の機」とも言われますが、習う側と教える側のテンションが同じで、学び取ろう、教えようという高い意識が一致した時に、弟子の腕が上がります。特に「鉄は熱いうちに打て」と言うように、入門し立ての頃の育て方が、最も重要であると私は思いますし、初心を生涯貫くことは、容易なことではありません。まさしく、「初心生涯」です。

「少し天狗になれ」

 入門後何年か経った頃に、上手く前に進めない弟子もいます。私もかつてそういう時期を過ごしました。そんな時、野崎宗慶老師は「少し天狗になれ。」と声をかけて下さいました。

 まったくの天狗は駄目なのですが、少しだけ弟子が自信を持つような言葉をかけるのです。しかし嘘はいけません。弟子の一番良いところを探して褒める。長所は誰にも必ずあるので、本気で探せば見つかります。そういう光るところを認めると、本人の心身に打つ波動が大きくなります。すると、師匠と弟子の関係も非常に良くなり、初心と同じように、情熱を燃やして仕事を続けることができるのです。

 また失敗してしょんぼりしたり、あせっている弟子を叱ることは、かえって逆効果となります。そういう時私は叱りません。ちょっと上向きになるような仕事を与えてから、褒めます。それから「先ほどの失敗は君らしくないな。ここを直した方が良いと思うよ。」と、助言をします。反対に弟子が大きく天狗になっている時は、力量より難しい仕事を与えて「まだまだやなぁ。」と鼻をへし折れば良いのです。いくらでも方法はあります。

 このようにして、弟子全員の適正に合った作業を伸ばしていくと、当人も自信を持てるようになり、以前苦手としていた作業も克服できるようになるのです。

成長のプロセス

 松本工房の門戸を叩いた弟子たちは、最初は皆白紙で、平等に教えます。その後、良くできる子とできない子を、常に目をかけます。良くできる子には、もっと難しい彫りや表現を更に教えます。できない子は落ちこぼれてはいけないので、傍においてしっかり教えます。そして真ん中の子らは、できる子とできない子の両方を手本として、自分で学びますから、ほったらかしです。

 それから弟子が過去にどうだったかは、あまり気にする必要がありません。今その子がどれだけ頑張っているのかという評価が、一番大事です。目が生き生きしている子、元気な子に力を及ぼすと、落ち込んでいる子も影響されて、どんどん良い方向に動きます。弟子の自発的な行動を尊重することも、工房を大きく伸ばす要因になります。

 以前大佛造佛の作業をしていた時、プレンナーという機械を稼動中に、誤って怪我をした弟子がいますが、彼は今では木出しの機械操作のエキスパートとなっています。これは本人が自発的に機械操作の分野を研究し、習得したからこそ上達したのであって、こちらからさせたことではありません。人は自ら欲して動くことによって成長するのです。

 また、算術がまったくできず職場を追われ、松本工房の門戸を叩いた弟子がいるのですが、いつも目立つこと無く寡黙に仕事をしていました。しかし元来の真面目な性格がこの仕事に向いていたようで、謙虚に教えに従い粘り強く修行を続けるうちに、冴えた刃切れを会得し、彼は今工房にとって大切な存在になっています。まさしく、「一隅を照らす」です。

口伝 〜師匠より授けられた宝〜

 人間の心は常に動いています。一人一人の考え方が違うことで、千差万別の英知が生まれ、弟子から得られるものも多くあります。例えばどんくさい子が必死に頑張っている姿を見れば、昔の自分を思い出し、「この情熱は今欠けているかもしれないなぁ。」と気付くことができます。それをまた噛み砕いて他の弟子に話すことで、相互作用が生まれ、その掛け合いが平成の口伝となっていくのです。血の通った人と人が刺激し合って成長することが、教育ではないでしょうか。

 口伝とは有難いもので、口伝えに習ったことは、すべて鮮明に頭に残っており、45年前の野崎宗慶老師の一挙手一投足が、いまも鮮やかに脳裏に焼きついています。師匠と一緒に仕事をした期間はわずか1年半程ではありましたが、それで今日に至れたのは、当時83歳であった師匠が、自分の命の絶えることをはっきり自覚され、マン・ツー・マンですべての口伝を、まさに命を削りながら、与えて下さったからこそです。師匠は教えることにおいて、惜しみがありませんでした。全部教えて裏切られた時に、技を持っていかれては困るなどという狭い了見は無く、蓄えた技をすべて弟子である私に授けて下さいました。

 また師匠には御子息がおられたのですが、現代美術の分野に進まれ、多くの功績を上げられました。そういう訳で私は佛師として、老師の後を継ぐことになったのです。ですから、私も弟子をきちんと育てることで、師匠の遺志を継ぎたいと思います。まさしく、「佛師の血脈」です。

「佛来い」 〜生涯の宿題〜

 そんな師匠の最後の口伝は禅僧一休さんの話でした。ある日、一休さんが船で京都から大阪へと木津川を下る時に、船頭が「この世には地獄と極楽があるらしいが、この世に佛さんが本当におられるのならば、是非見せてくれ。」と訊ねたところ、「分かった。佛さんを見せてあげるから、大きな声で、佛来いと呼びなさい。」とおっしゃった。

 船頭は一生懸命大声で「佛来い。佛来い。」と叫びながら、もくもくと棹をさし続け目的地の淀屋橋に着きました。大阪で用事を済ませた一休さんが、先ほどの船頭に「おい船頭、佛を見たか。」と訊ねると、「お蔭様で、佛さんが見えました。」と・・・。師匠の話はここでプツッと終わり、無言で仕事を続けられ、この話の先を伺うことはできませんでした。 

 この時19歳だった私は、師匠の言わんとすることがさっぱり分かりませんでした。ようやくその真意が理解できたのは、時が流れて35歳になった頃でした。「佛来い。」とは、自分がどれだけ心の底から求めて、その道に打ち込んだのかで、すべてが決まるのだと。

 今日に至るまで、多くの心ある方々の励ましや導きによって、みほとけを謹彫する仕事に携わってまいりましたが、これからも野崎宗慶老師の教えを胸に、後進の育成に力を注ぎ、佛像彫刻の伝統を次世代へと繋げていくことが、私の使命であると考えています。今後とも、どうかよろしくお願い申し上げます。 (終了)


主な作品紹介

不動明王坐像 (福王寺) 広島県広島市安佐北区可部綾ヶ谷251

 明慶が36歳の時に初めて挑んだ大佛。落雷により炭と化した御本尊(全国でも大変珍しい立木佛)を、胎内佛として抱く。背後の千体不動も圧巻。
一丈六尺(総高6.1m) 桧 1981年



阿弥陀如来坐像(極楽寺) 広島県廿日市市原218

 恩師佐和隆研師の生家に、感謝の気持ちを込めて造像した大佛。光 背には九体阿弥陀が配置され、化佛の数は3600体にも及ぶ。
二丈四尺(総高8m) 紅松 1985年



両界虚空蔵菩薩坐像(龍眼寺) 大阪府大東市竜間37−3

 前住職の夢枕に虚空蔵菩薩が立たれ、「我を龍の住む山に安置し、福徳と知恵を与え衆生を済度するべし。」という霊示を具現化した大佛。  女子十三参りのみほとけでもある。 
2尊 半丈六(総高2.9m) 桧 1989年



釈迦如来坐像(慈照寺) 北海道苫小牧市高丘6−46

 宗派を超えて人々の平安を願う、明慶大佛最北地の大佛。
一丈六尺(総高5.4m) 総金箔張 1997年 



大辨財天坐像(最福寺) 鹿児島県平川町4850−1

 世界最大級の木造大佛。落慶より8年が経過、日々の凄まじい護摩行により膨大な灰を全身に被る。
総高18.5m 比婆 2000年 



十一面千手観音菩薩坐像(観音正寺) 滋賀県蒲生郡安土町石寺2

 インド政府の協力の下で実現。光背には等身大の手をまさに千本、放射線状に配置した大佛。  
一丈六尺(総高5.4m) 白檀 2004年



不動明王坐像(大願寺) 広島県佐伯郡宮島町3

 明治時代の廃佛稀釈運動の荒波を乗り越え、行場としての復興を目 指す、宮島の守護大佛。   
一丈六尺(総高6.3m) 白檀 2006年



釈迦涅槃像(長恩寺) 新潟県新潟市中央区夕栄町4494

 涅槃堂において、納骨に訪れる人々を温かな眼差しで迎える大佛。
拝観不可。
像丈3m 桧 2007年



十一面観音菩薩立像(長谷寺)  沖縄県糸満市潮平1番地

 日本で唯一地上戦場となった沖縄南部激戦地に開かれたこの寺には、日々戦没者を供養する大佛が静かに佇む。
総高4.5m 紅松 2008年 



十一面観音菩薩坐像(三会寺) 神奈川県横浜市港北区烏山町730

 鎌倉幕府の鬼門除けとして建立された寺院。おおらかな大佛が隣接する幼稚園児の成長を見守る。
一丈六尺(総高5.4m) 桧 2008年 



十一面千手観音菩薩立像(紀三井寺) 和歌山県和歌山市紀三井寺1201

 松本工房造佛史上、最も過酷な作業を要した大佛。南海地震に備え、耐震補強作業にも挑んだ。心の燈台を目指す大佛。
総高12m  総金箔張 2008年



香合佛不動明王(松本明慶美術館蔵)

 直径6センチの香合の中に、不動明王の浮き彫りが鎮座している。繊細な刃切れと截金細工は豊かな風格を漂わせており、お守りとして重宝される。
2004年



復興地蔵(新潟県長岡市山古志地域復興センター蔵)

 2004年、中越大地震で甚大な被害を受けた旧山古志村の復興を願い造佛された地蔵菩薩。震災時に倒れた樹齢180年の杉の木を用いて、村の復活に不可欠の元気な子供たちをイメージし刻まれた。
2005年



不動明王坐像(滋賀県・比叡山無動寺谷明王堂御本尊)

 重要文化財に指定され、現在国宝殿に展示されている旧御本尊の後を受けて、明王堂の新御本尊となった不動明王。巧みな古色仕上げが施されている。毎年6月23日のみ御開帳。
2008年


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