家紋とは

 私が所属する京都紋章工芸協同組合は、“着物”に家紋を描く職人の組合のことです。京都では「紋上絵師(もんうわえし)」と呼んでおります。現在、組合員は約50名おりますが、いずれも後継者不足で悩んでおります。本日の講演会も、この技術を後世に残そうと、また、家紋を次の世代へ正確に引き継いでほしいという気持ちからお引き受けいたしました。

 家紋とは何か。極端にいうと、私が考えるには、三つの意味があります。

 第一に、家紋は“家”を表しているということです。家を文字で表したものは、苗字です。「中村」とか、「山本」とか、いろいろあります。家を図形であらわしたものが、家紋です。だから、家紋と苗字は一体であるといえます。

 第二に、家紋は“御守”であることです。家紋を身につけることによって身体を、また、家を守っていただくという御守の要素が、非常に大事な点です。

 第三に、家紋は、祖先から発信された“願い”であります。家紋はそれぞれいろんな意味があり、祖先から発信されたものを、現在、私たちが譲り受け、さらにその思いを子孫につなげていただきたいと思います。

家紋の歴史

 家紋はいつごろからできたのでしょうか。いろいろな説があります。平安末期、お公家さんが、牛車や調度品に使用していた文様が、いつしか家紋に転化し、確立したという説が一般的です。牛車に模様を描いて、他と区別するためでしょうか、その家の固有の模様をつけるようになりました。その模様がだんだん転化して、公家の家紋になっていったということです。だから、公家の家紋は、だいたい優しく、きれいでみやびな草花の紋が多いようです。

 それより少し遅れまして、武家の場合は、敵味方を見分ける手段に用いたというところが発生の原因です。だから最初の家紋も、丸が一つ、丸が三つ、ペケや三角と簡単・単純・明快な紋が多いようです。それが平安末期ということで、今からほぼ900年以上前に、家を表す紋「家紋」として認識され始めたということです。

 次に、鎌倉時代になると、合戦もあって家紋の数が増えました。約60種類の家紋が確認されております。

 そして、室町時代。各地の豪族が戦(いくさ)に馳せ参じ、入り乱れる場面になると、自分の紋をアピールする必要性から、多数の家紋が発生いたしました。当時では、約250種類の紋が記録に見えます。

 戦国時代。家紋のデザインに変化があらわれます。写実的な家紋からデザイン的な家紋への変化が見られます。全体の形にとらわれない写実的なデザインから、一定の丸のスペースに収めようという傾向が顕著に伺えます。このデザイン化には大変な苦労があったと思います。

 江戸時代。天下泰平。今までの戦乱の世の中が終わりまして、町民も武家もゆったりとした心になりました。家紋の使用方法も、戦(いくさ)での敵味方の区別ではなく、儀礼上、家をあらわすために、現代の会社のマークのように使われるようになりました。

 町民の場合、公式には苗字が許されていませんので、正式な意味での家紋は持っていませんでしたが、お店や歌舞伎役者などはシンボルマークとして紋を使っていました。一般の町民もそのような役者さんの紋をつけてみたり、比翼紋で好きな人の紋を重ねてつくってみたりして、しゃれ紋をつかっていました。そういうわけで江戸時代には、急激に紋章の文化が花開きました。

 明治以降になると、今度は一転「家紋崩壊」です。西洋のものが良くて、日本古来のものへの評価が下落しました。さらに追い討ちをかけたのが太平洋戦争です。男子は戦地へ駆り出され、各地の空襲と二度の原爆投下などで、家族自体が崩壊してしまいました。そして、敗戦後、西洋の個人主義の影響を受け、「家」の制度が崩壊。結果、今まで根づいていた家紋が途切れてしまったところも少なくないと思います

 今、伝えていただいている家紋は、ひょっとしたら、一度途絶えた後、さらに新しく決めたものかもしれません。それでも現在まで脈々と続いておりますので、大切に引き継いでいただきたいと思います。

家紋の意義

 みなさんのご先祖さんが、ある時、ある文様を御家の家紋に決められたわけです。それには、いくつかの理由・意義があって決まったものと思われます。これを「紋章選定のモチーフ」として6つに分けてみました。

 まず一、尚美的意義。これは、牡丹や竜胆、杜若、楓などの草花・文様など、その美しさから家紋に取り入れたというもの。

 二番目、指事的意義。これは武家の名字や公家の称号、町人の屋号を象徴的に暗示することを狙いとして紋章としたもの。例えば鷲尾家だったら、鷲の紋にするとか、鳥居家だったら、鳥居の紋。吉野さんだったら、桜の紋など。

 三番目、瑞祥的意義。不老長寿、子孫繁栄、福徳円満等を祈念したもの。例えば、菊、鶴、亀、州浜、桐など。字面では、吉、福、万など、おめでたい意味の字もあります。

 四番目、記念的意義。これは祖先の名誉や発祥の地を記念して家紋にしたというもの。那須与一が扇の的を射抜いたことを記念して、その子孫が日の丸扇を紋にしたり、南部家と秋田家の戦いで、南部家が勝ったときに、二羽の鶴が舞い降りたことを記念して、南部家は二羽の向かい鶴にしています。そういう故事来歴にのっとって家紋にしたもの。

 五番目、尚武的意義。これは尚武、武芸です。弓、矢、兜、軍配団扇、そういうものを紋にしたというのが、尚武的意義です。

 六番目、信仰的意義。これは縁起をかついで神様や仏様の加護を期待する紋であって、例えば天神さんの梅、八幡さんの鳩、諏訪神社の梶の葉、出雲大社の亀甲、これらを紋にして、その神様の信仰の加護を受けることを祈願したもの。大きく分けて、この6つが家紋に選んだ意義であろうかと思います。

家紋の種類

 家紋の種類は、全体で約350種類ほどあります。それが、さらに様々なバリエーションによって広がり、現在、墓石や文献などで確認されているものが2万4千ぐらいあります。「平安紋鑑」という紋帖がありますが、およそ4千の家紋が載っています。

 家紋を基本的な種類で分けると、一番多いのは草花の紋で、100種以上あろうかと思います。二番目に多いのが、器具・道具の紋です。扇、車、矢など約100種。次いで、文様・模様の紋です。巴、鱗、亀甲など約25種類。それから自然現象の紋で、月・日・雲・雪など約15種。そのほか、動物紋。鳥居や井桁、庵などの建造物の紋。あとは仏教的な紋や、神様の紋もあります。それを合計すると約350種類あり、さらに、変化のバリエーションがあって、2万4千の数になっています。

 そのバリエーションは、基本パターンが26(家紋の変化26パターン)。外郭を丸で囲んだり、星や羽などでは2つを3つにしたり、向かい合わせや抱き合わせなど並べ方を変えたり、葉脈の数を増やしたり、剣や蔓を生やしたり、上下を逆にしたり、他の紋と合体したり、形を他の紋のように擬態させたりと変化させています。家紋の種類は広がっています。

 例として、皆さんご存知の徳川一門の家紋を見てみましょう。@は徳川家三つ葵で、将軍家の紋。Aはご老公でおなじみの、水戸家三つ葵。将軍家と比べると、葉脈の数が増えています。Bは、幕末、京都守護職、松平容保の会津松平家。将軍家の紋が葉の元から放射状に葉脈が広がっているのに対して、会津は、水平に葉脈が並んでいます。Cは、紀伊徳川家の分家である伊予西条藩の松平家で、外枠が四角です。


【@徳川三つ葵】


【A水戸三つ葵】

【B会津松平家】

【C西条松平家】

 基本的に分家した場合、苗字が同じなら紋は変えてはいけない。しかし、本家を憚って、変えなくてはいけない。つまり、葵の紋を、分家したから桐にするというわけにはいかないのです。先ほどのパターンでわかるように、基本の紋は変えないで、形を変えていく。このように変化させていくので、紋の数が非常に多くなるわけです。


家紋は、「御守」

 次に、家紋は御守ということについて考えます。みなさんは、黒紋付というのを持っていらっしゃると思いますが、黒紋付は、第一礼装です。家紋は、五つ付いています。

 着物に付く紋の数は、五つ、三つ、一つとあります。格式の一番高いものが五つです。だから着物に紋をつける場合は、着物の格と紋の格を合わせるのです。黒紋付、黒留袖には必ず五つ紋です。色留袖になると、黒より一段格が下るから紋の数も三つにする、そうやって紋の数を落とすわけです。色無地になると、もう一つ下るから、今度は紋の数を一つにします。

 昔は、やはり19歳の厄年で、黒紋付をお母さんが娘さんに持ってやらすと。あれはなぜかと言うと、厄除けの御守です。紋を入れるということによって、御守になるのです。

 それともう一つ、その着物を持って娘さんが嫁がれます。嫁ぐということは、他人の家に入ること。他人の家に入っても、お母さんは、実家の紋で娘をずっと見守っているという意味があります。

 五つ紋とはどこに紋がつくか、みなさんご存じですか。背中。それと両胸、両袖の外。着物を着たときに、前、うしろ、両横、全部、紋が見えます。着ているものが、四方全部紋で囲まれている、つまり、紋に守ってもらっているのです。

 背中は、一つ紋の場合でも必ず付きます。というのも、うしろは自分では見えませんからね。だから、うしろは紋によって、祖先が守ってくれているわけです。

 古来、日本は、悪霊は人間をうしろから襲うといわれまして、必ずうしろから来るのです。いい例として、お子さんが生まれたら、30日ぐらいで氏神様に宮参りに行きますね。今はやや廃れたかもしれませんが、昔は初着を着せるときに、背中に縫い飾りや御守をつけたりしました。七五三の子には絶対にしません。するのは宮参りの子だけです。

 なぜかというと、宮参りの場合は一つ身といいまして、一枚の着物で身丈を取ります。七五三から上は、大人になったら、これはもう四つ身と言って、真ん中を縫って、背で縫います。縫うということは結界をはることであって、そこを糸で締めているから悪魔は入らないと。一つ身だから、縫っていないから、わざわざ縫い飾りを入れて結界をつくって、魔の進入を防いでいるのです。

 それともう一つ、巴という紋をご存じですか。これも御守として使われる面が大変多いのです。先ほども出ましたけれども、三つ巴(左図)。これは神社・仏閣にものすごく多い紋です。これは不思議なことに、何が紋のモチーフになったのか、今も全くわからないという紋です。

 一つは、「巴」という字は、蛇の象形文字で蛇を表し、トグロを巻いている白蛇様で、神様の使いであるということで、神社にすごく多いのです。京都の八坂神社、祇園さんでも、この紋と、五瓜に唐花が比翼紋(ふたつの紋が並び重なっている)のようになっています。

 それともう一つは、屋根瓦の前のところについているのを見かけませんか。これはなぜでしょうか。この場合の巴は水の渦巻きを表しています。水の渦巻きを瓦につけることによって、火除けの御守になっているのです。だから、その家の家紋が巴紋でなくても、瓦に巴紋を使っているわけです。このように紋というのは、御守という面でも、とても重要であるわけです。

家紋は「祖先からの願い」

 家紋は、祖先から子孫への願いという話もあります。天神様の梅、阿蘇神社の鷹の羽など、神様に関する紋だったら、その信仰を子孫に伝えたいと願って付けている場合もあります。

 寒冷地へ行くと、蔦紋がとても多いのです。なぜ蔦が多いかというと、蔦は地を這ってはびこり、繁殖力がすごく高いということで、子孫繁栄を願って付けられています。

 将軍徳川吉宗も替紋(かえもん)として、この蔦をつけていました。これは、徳川一族の繁栄、勢力の繁栄を願っています。

 それと江戸時代は、遊女の間でも蔦がはやりました。名前もお蔦さんとか、着物も蔦の模様が入っていたり。遊女になぜ蔦なのか。これは、蔦が蔓を伸ばし、さらに、蔓で客に絡みついて、客を離さないようにしたい、そういう願いから、この紋を用いました。

 このように紋には、それぞれ意味があり、紋の持つ意味を子孫に伝えたり、紋をつけることによって、願いをかなえたいというものが多いです。ちなみに、願い事ベスト3は、@子孫繁栄、A神仏の加護、B戦に勝ちたい、です。

皆さんの家紋

 本日のセミナー参加者のなかで、事前に家紋をお聞きしたところ、約120人の方に回答をいただきました。家紋の種類別に一番多かったのは剣片喰を主とする片喰紋。以前、京都祭のイベントで調べたときも3年間とも片喰が一番でした。以下、茗荷、木瓜、梅、笹竜胆、藤、鷹の羽、橘、花菱、桔梗、柏と続きます。いくつかの紋の由来をご紹介しましょう。

「片喰」

【丸に剣片喰】

 片喰紋のモチーフとなったのは、「酢漿草」(かたばみぐさ)です。字が難しいので「片喰」という当て字を使っています。片喰とは、田圃などに生えている三つ葉のクローバーのようなもので、いわゆる雑草です。三つの丸みは、知徳をあらわしていること、それと踏まれても、踏まれても繁殖する、それで子孫繁栄の意味ももっています。バリエーションでは、剣片喰がもっとも多く使われています。

 さらに、昔は磨き草といわれ、鏡を磨きました。鏡というものは、自分を映す分身です。それを磨けということは、常に自分自身、鍛錬を怠ってはいけませんよという意味もあります。

 鏡を磨く女性であり、田圃の畦、農民であり、平和的な意味を持っています。それに剣をつけると、戦い、武家、男であります。だから剣片喰の使用が多い理由は、男、女、武家、農民、戦争、平和、すべての意味を合わせ持った紋だからだと思います。



「抱き茗荷」

【抱き茗荷】

  茗荷といったら食べる茗荷ですね。それが紋になっているわけです。茗荷は物忘れをするなど、いい意味はありません。では家紋ではどのような意味をもつのか、これは日本人の言葉遊びが由来です。仏教用語のなかに、「冥加」という言葉があります。それは、仏様から自分が受ける、助けられる力を「冥加」といいます。そういう力がほしい。しかし、目に見えないものは形にならない。だから「冥加」をこの「茗荷」に当てはめて紋にいたしました。

 形態は、「抱く」という形が一番多く、兄弟、一族、一統抱き合い仲良くということで、抱き茗荷紋になっているわけです。つまり、形は茗荷ですが、実は神仏の御加護の紋なのです。



「木瓜」

【木 瓜】

 「木の瓜」と書いて「もっこう」と読みます。これは中国からきた模様です。これは、(か)といって、鳥の巣のことです。普通の「巣」の字は、木の上の巣のことを表しているのに対して、これは地面にある鳥の巣です。そして、巣の中を花柄に変えて紋にしました。

 昔は木瓜ではなくて、というところで載っていた紋帳もあります。しかし、なぜ巣が木瓜というのか。これは中国の模様で、簾の上に一折の織物に必ずこの模様が織り込んであり、その簾のことを「帽額」と書いて「もこう」と読みます。「もこう」にある模様だから木瓜の字を当てています。五瓜の、五つの瓜の場合は、キュウリの切り口にも見え、ボケ(木瓜)の花にも見えます。それと、天秤ばかり、両皿天秤の真ん中、中心のこともモッコウといい、人間の中心、バランスの取れた人間になりなさいよという意味もあって、「木瓜」という当て字にしたわけです。

 この紋は女性的な巣の紋で、家の紋であり、卵を産んで家を守り、子を育てなさいよという子孫繁栄の紋なのです。



「梅鉢」

【梅 鉢】

 梅鉢紋。これは天神さんの紋です。おめでたい松・竹・梅の一つです。梅は、一年で一番先に色づく、芳しい花であるということで、めでたいということで、みんなに喜ばれて紋になりました。

 単なる梅の花よりも、梅鉢の紋の方が多く使用されています。太鼓のバチに似ているとか。お皿の小鉢の下に似ているとか。いろいろな説があって、一体、梅鉢って何なのか、未だにわかりません。





「笹竜胆」

【笹竜胆】

 笹竜胆紋。歌舞伎などでは、源義経など源氏の紋ということになっていますが、実は、義経がこの紋を使用したかどうか確定はできていません。

 形は、竜胆の花と葉からなり、下の葉が笹に似ているから笹竜胆といいます。竜胆の優しさ、きれいさが紋になって尚美的意義をもつ紋です。





「藤」

【下がり藤】

 藤紋。やはり、藤はその美しさのため、昔、宮中で憧れの植物であるといわれていた紋です。藤紋を使用される方で、お名前の最初の一文字目が「藤」の字の方。藤井さん、藤山さん、藤田さんなど。それと、苗字の後ろの字が「藤」の字方。佐藤さん、伊藤さん、加藤さんなど。藤の字が前か後ろかで、意味が違います。                

 藤田さんなど前に藤が付く方は、藤○だから、藤の紋にしようと紋を決められた方で藤原氏とは関係がない場合が多いようです。これに対して、佐藤さんのように、藤が後ろに付く方で藤紋を使用する方で、前の一字で意味がとれたら、まず藤原一族の末裔であろうといわれています。

 たとえば加藤さん。「加」は加賀国をあらわします。加賀国のお役人だった藤原氏。伊藤さんは、伊豆国。近藤さんは近江国。工藤さんは、木工の役人。斉藤さんは、斎宮に関する役人などです。



「鷹の羽」

【違い鷹の羽】

 鷹の羽、違い鷹の羽紋。日本の代表的な男性的な紋です。

 強さ、勇ましさをあらわすということで、先ほど話をしました、初着の宮参りもほとんど鷹の柄が多いです。その勇ましさ、強さをこの子どもに与えてくれと願って、紋になりました。








「柏」

【三つ柏】

 柏紋。これも神様の信仰の紋です。お宮さんに行かれたら、みなさん、拍手(かしわで)を打ちますね。これも柏の葉に由来しています。それと柏餅。柏の葉は、神様からの福を食べるという意味で柏に包むということです。それと、柏の木には御食津神(みけつかみ)という、食べ物の神様が宿るといわれています。昔は神様に食物をお供えするのに柏の葉を使いました。

 もうひとつは、日本人的考えで、柏の木は、新芽が伸びるま で古い葉が落ちないといわれています。つまり、新芽を子どもに、古い葉を親にたとえて、親が子どもの成長をずっと見守る、親子の愛情の紋であるともいえます。



「星」

【七 曜】

 星の紋。右は七曜紋、七つの星。日本の紋章では、星を丸であらわします。西洋は金平糖(こんぺいとう)みたいな形で表しますが、日本は丸で表します。この紋は基本的には、戦いに勝ちたいという、戦いの紋です。北斗七星、七つ星が基本なのです。これは、妙見さんの紋であって、戦いの神様であります。

 次に星が九つ。九曜は、日、月、火、水、木、金、土の七つ星に、計都(けいと)、羅(らごう)という日食、月食をつかさどる星を加えて九つ。昔の古い絵草紙を見ると、公家の牛車には九曜がついているものが多く、これは厄を除けて身を守るという意味があります。

 武家が好んで星紋を用いた理由は、何か。戦いに勝ちたい、もちろん、それもあります。実はよく見るともっとおもしろいことがわかります。星、つまり白い丸は、食べ物でいうとお餅を連想します。白い餅、「しろもち」。これを武家は、「城持ち」「お城を持つ」といい換え、一国一城の主を目指したのです。戦に勝って、城を持つということを願ってつけた紋といえます。

 三つ星。戦勝の願いからいえば、三つ星が一番です。三つ星というのは、中国でいう将軍星で、大将軍星、右将軍星、左将軍星の三つの星、これは戦いの神様の星です。

 この三つ星に一をつける、一というのは、「一番」という意味と、「一」を「かつ」と読んで「勝つ」という意味もあります。大河ドラマの山内一豊の「一」。あれは「カズトヨ」ではなく、「カツトヨ」と読むのです。三つ星の下に一がつくと、鬼退治で有名な渡辺綱の一族の「渡辺星」。上に一がつくと毛利氏の「一に三つ星」になります。



「二つ引両」 

【丸に二つ引】

 二つ引両という紋。これは足利家の紋です。これはとても名誉のある、素晴らしい紋なのです。この紋のモチーフは何でしょうか。これは引き竜紋といって、二匹の竜が天に昇る姿といわれています。足利将軍家は最高の運勢の紋なのです。単純な紋ですが、そういう意味が含まれています。室町期には、将軍の紋だから、お許しがないとつけられない、それぐらい憧れの 紋であったのです。

 今、いろいろな紋の話をしました。紋にはいろいろな意味があって、それをつけることによって、それぞれの願いを込めたということを知っていただきたいと思います



そのほかの紋

「竹に笠」

【丸に切竹笹に笠】

 右の紋は、「丸に切竹笹に笠」という紋。竹笹の紋はよくあります。竹笹というのは、神様の降臨の木で、地鎮祭でも竹を立ててお祓いをすると、ここに神様が降りてきて、守ってくださいます。竹に雀の紋はとても多いですが、それは雀が竹を拠り所とする神様の御使いの鳥だからです。

 では、竹に笠はどういう意味があるのでしょうか。神様は天から降りてきます。神様に降りていただくには、竹を天に向かって真っ直ぐに立てなくてはなりません。そこで「笠」です。笠の字は、「竹」に「立」と書きますね。つまり、笠は、竹を真っ直ぐ立てることを意味しているのです。これは日本人らしい言葉遊びです。



「斉藤道三の波紋」

【道三波】

 右の紋は、美濃の戦国大名 斉藤道三の波紋です。道三は「人生とはこうや」といって、自分で道三波という紋をつくったそうです。どういう意味なのか。波のしぶきをご覧下さい。左に2点、右に3点のしぶきがあります。これは割り算で、二つは割りきれます。三つは割れません。つまり「人生とは、割り切れる点と、割り切れない点がある」。

 そういう思いを、波しぶきであらわした紋なのです。





「団子の紋」

【三つ串団子】

 これは団子、三つ串団子という紋です。誰が見ても団子ですが、本当は団子ではないのです。

 京都の花街の紋、つなぎ団子といって、くるっと団子が丸くつながっています。あれは、花街のみんなが手を取り合って仲良くいこうという意味です。一方のこちらの串団子の意味は違います。これも戦いの紋です。これは戦いで取った敵の首です。取った首を刺して、大将にささげて手柄を立てたといことを図案化したもので、これは三つの首の串刺しの紋なのです。しかし、首は家紋として描けない、だから団子に置き換えて紋をつくったのです。実のところは、敵の首を取って手柄を立てるという願いを込めた紋です。



「胡桃」 

【胡 桃】

 胡桃紋です。これは日本人の言葉遊びですが、何でしょうか。女性の思いの紋です。

 胡桃、「くるみ」これを「久留美」と読み替えると、美しさを久しく留めたいという女性の願望を、食べる胡桃に置き換えて紋にしたものです。







 家紋について、先祖の切々とした願いや、しゃれっ気いっぱいの家紋のことなど、いろいろとお話をさせていただきました。ここで最後に、私が紋章工芸協同組合の一員として、お願いしたいことがひとつ。このように家紋には、それぞれ先祖から伝えられ、また、込められた想いや意味があります。あるとき、一家のことを想い、祖先が家紋として決められ、そして、その紋が今日まで引き継がれてきました。だから、自分の家紋を、間違いのない、正確な家紋を次の世代に伝えていただきたいと思います。

 時々「こんな無骨な家紋は嫌だ」、「今から紋を変えたらあかんやろか」「かわいい紋があるし」といわれます。今や家紋については法律も何もありません。

 しかし、これまでお話してきましたように、祖先のお守りとか、祖先からのお願いということを考えると、絶対に変えてほしくないと思います。それを末代までもつないでいってほしいと思います。

別表 「家紋の変化26パターン」
  1. 外郭で囲む(丸輪、雪輪、角、亀甲、瓜などで囲む)
    左:【丸に蔦】 右:【雪輪に揚羽蝶】



  2. 個数を増減する (葉脈を増やしたり、並び矢を三つ矢にしたり)


  3. 描き方を変える (単線・複線、陰紋)
    左:【花菱】 中:【陰花菱】 右:【石持地抜花菱】



  4. 先人の画風や嗜好を模す (光琳桐、利休桐)


  5. 観点を変える(裏から見る 横から見る 覗いて見る)
    左:【裏桔梗】 右:【糸輪に覗き梅鉢】



  6. 葉の線を鋭く(鬼蔦、鬼桐)
    左:【丸に蔦】(通常の蔦) 右:【鬼蔦】



  7. 図形を上下に  (下がり藤、上り藤)


  8. 角度を変える  (平、角立、寄せ掛け)
    左:【角立て四つ目】  右:【平四つ目】



  9. 折り曲げる
  10.   
  11. 捻じ曲げる
  12. 結ぶ
  13. 左右の別(右巴、左巴)


  14. 抱き合わせる(下部を接触または交差させて抱きあった円形にする)
  15. 向かい合わせる 
  16.  
  17. 並び立てる 
  18.  
  19. 斜に交差させる
    左から【抱き茗荷】 【対(むか)い蝶】【並び鷹の羽】 【違い鷹の羽】



  20. 三つ盛り上げる(三つの同じ紋を品の字に配列する)
  21. 部分を重ねる
  22.  
  23. 寄せ集める、離す
  24. 頭部か下部を合わせる
  25. 頭部を接して追いかける
    左:【三つ盛桔梗】 中:【離れ三つ巴】 右:【三つ追い柏】



  26. 一部を共有する
  27. 一点で連結する


  28. 小型の物を包む(子持ち沢瀉)
  29.    
  30. 分割して円形の中に配列する(二つ割り〜八つ割り)
  31. 別の紋章に擬態する
    左:【子持ち抱き沢瀉】 中:【割り橘】 右:【蟹 蔦】


            


<参 考>

■氏と苗字
 家紋は、「家」の紋。家の名を表しているのが苗字です。現在は、フルネームを「氏名」、「姓名」と表記し、苗字のことを「氏」や「姓」と表していますが、元来、苗字と氏・姓とは別のものです。平安時代の代表的な「氏」は、源、平、藤原、橘です。「氏」は、同じ祖先をもつという同族集団で大化の改新以前は、この氏という集団が社会的、政治的基盤となっていました。一族の長を氏上とか氏長者といいました。

 一族が繁栄し、各地へ広がっていくと、氏という大きな集団から、家父長制による家族が独立しはじめます。藤原氏一族の公家の例でいうと、藤原氏から、地名をとって九条、一条と号するようになりました。さらに、住居・本拠地が定まってくると、その号がいつの頃からか世襲され、「家」という概念が確立し、苗字が確立しました。そうして、「家」を表す紋も「家紋」として確立することになります。

 しかし、明治直前まで、氏と苗字は併用されており、一般では苗字を、朝廷とのやりとりの文書には氏が使われていました。たとえば、徳川家康の場合、朝廷との文書には、源朝臣家康と記され、徳川はでてきません。この場合、源は「氏」、朝臣は「姓(かばね)」、家康が「名」、徳川は「苗字」です。

 氏と苗字の違いをいくつかあげますと。まず読み方。氏の場合、氏と名の間に「の」を入れて読みます。「みなもとのいえやす」「たいらのきよもり」。苗字の場合は、「の」は入りません。次に「氏」は、本来は結婚しても変わりません。苗字は「家」に入れば、その家の苗字に変わります。

■定紋、替紋、女紋
 家紋は、一家にひとつ、というわけではない。但し、御家の本来の家紋を定紋(じょうもん)、本紋または正紋といい、戦や登城、儀式などの公式の場で着用され、江戸時代の武家は、幕府に届出を要し、気軽に変更はできないものでした。これに対して、替紋、別紋、控紋(ひかえもん)という非公式の紋がありました。

 また、西日本を中心に「女紋」というものがあります。といっても、デザイン的にこれは男紋、これは女紋と区別されるものではありません。同じ紋でも、定紋にも女紋にもなり得ます。女紋と一言でいいますが、@母から娘へ、家を超えて伝わる女系継承の紋(母系紋)、Aその家で代々伝え、替紋として非公式に女性が使用する紋、B嫁が実家の家紋を使用する場合、実家の紋。但し、これは一代限り。C五三の桐や蔦など、女紋として便宜上使用される紋(通紋)。など異なる概念を含んでいます。これらは地域によって違うので要注意です。

 現在、家紋の基本知識が薄れているにもかかわらず、一家に複数の紋を多用されているところを見受けます。家紋の正しい知識を身に付け、なによりも定紋を大切にしてほしいと思います。

■「平安紋鑑」
 平安の昔より、紋を描く技術は、紋上絵師によって代々伝承されてきましたが、時代の移り変わりにしたがい、紋章の正確さが失われてまいりました。

 そこで、京都の上絵業者が集結し、心血を注いで、全国の紋章の規格統一のため、正しい図形と名称を編纂した紋帖、その名も「平安紋鑑」を発刊されました。平安紋鑑は、昭和11年の初版以来、現在に至るまで、紋帖の最高峰としてのゆるぎない地位と権威を保持しつづけています。

 平安紋鑑(京都紋章工芸協同組合発行)は、現在まで10版(平成13年)と版を重ね、森晴進堂(京都市中京区三条通西洞院角)にて購入することができます。内容は、218ページ、紋章約4000収録、大判6,300円、小判3,150円。

平成20年9月28日講演