様式と伝統は違う

 ご紹介いただきました上村でございます。私はもっぱら日本画を学んでまいりましたので、日本古来の芸術がはぐくんできた美意識を中心にお話ができればと思います。

 私が日本画の基礎を学んだのは、1880年設立の日本最初の京都画学校が移行した京都府画学校、現在の京都市立芸術大学です。文明開化によって京の伝統芸術が廃れることを危惧した在京の芸術の大家たちが、流派の垣根を越えてつくった日本初の美術家養成機関で、行政に委ねることなく自由闊達に、伸び伸びと作家を育ててきた学校です。私たちが学生のころは先生方の気概がすさまじく、芸術のための恩返しだと、給料の多寡など問題にせず教鞭を取ってくださる先生方でした。純粋に芸術を学ぶ環境を守ってきた京都に生まれて、つくづく幸せだと思いました。

 京都は異文化も充分に受け入れてきました。ご承知のとおり、京都疎水や南禅寺の水路閣など、まちになじんで違和感はみじんもありません。ヨーロッパなどでつくられた織物でできた胴懸を祇園祭の山鉾に使うところなど、京文化の懐の深さを感じます。欧米、中国などからの文化を受容しても、工夫をこらし、日本独自の文化にアレンジしてきました。

 でも、私が京都市立芸術大学の教授に就任したころから、学生たちに欧米の作風をただ模倣するだけの傾向が強くなってきました。例えば、日本画の特徴でもある「陰影なしの立体」の意味も理解できないのです。作家の夢想した世界を具現化したのが絵ですから、現実の世界を写し取ったものは絵ではありません。琳派、あるいは狩野派、大和絵というものが廃れていったのは、師匠が夢想した世界を弟子が描くばかりで、作家自身の世界が描き出されていなかったことにも原因の一端があると思います。

 様式ばかりが受け継がれ、画家本人の思いが込められなくなってはいけません。画家の夢想する空間にみなさん方をお誘いして、そして包み込んでいって、ともにいい人生を歩みましょうという問いかけがなければ、美術というものは存在価値がないと思います。

東洋は余白の文化

 日本画には、西洋画には見られない、「余白」を生かす独自の画法が確立されています。私の祖母、上村松園の最高傑作だと言われる「砧」には、毅然として留守を守る武家の女房の姿が描かれていますが、背景はありません。「余白」から部屋の大きさが想定できるから必要ないのです。

 西洋ではモネ、ゴッホ、オディロン・ルドンなど、余白に魅力を感じた作家が少なからずいますが、自由に展開する余白をものにできた画家はほとんどいません。ゴッホの自画像には、たくさんの浮世絵の模写をボードに張り付けて、その横で呆然と立っている姿が描かれています。彼は「余白」の意味するものが理解できなかったようです。西洋画家には理解し難い感覚だったのでしょう。

 余白は、花鳥画に特にたくさん出てきます。画面の横から花の咲いた枝が出て、そこに鳥がとまっている。その後ろには何もありません。実際の空間であれば、山が見えたり、空が見えたりするはずですが、それを取り上げてはいけないのです。象徴化された空間を、画面の中にきちんとリアリティをもって導入できなければ、みなさん方をお誘いする空間にはなりません。

 円山応挙という作家は、画学生が日本画の心をつかむためには、写生を基本に据えることだと訴えました。中国からいただいた絵画の基が非常に精緻なものであったにもかかわらず、日本に来てどんどん様式化されて、画の本質を見失っていたので、日本画に対する甘い考えに警告を与えたのでしょう。

 ただし、写生をしても、すぐに絵を描いてはいけません。私が大学の1年生のころ、円山四条派の写生画を会得された榊原紫峰先生に「上村さん、すぐに絵にしてはいけませんよ」と言われました。現実のものを再現するのではなく、胸中で熟成されて、美しい存在だと自分が思えて、はじめて絵になるのだという教えだったと思います。

 祖母の師匠である竹内栖鳳先生が、東本願寺御影堂二層の天井に描くはずであった『天女』(素描)は、未完成の作品です。15年ほど前、本願寺さんから私に、復元完成させてほしいというご依頼がありました。しかし、その絵を見た途端、絶対にこれを触ってはいけないと感じました。天女が空を舞っていないのです。この作品は師匠が夢想しきれなかったので、未完成でやめたものなのです。それほど、日本画の神髄は奥深いものです。

謙虚な心が原動力

 私は鳥や花が好きで花鳥画を描きたいと思っていたのですが、いざ描いてみると余白の部分がどうしても理解できません。日常生活の感覚が欧米化しているせいでしょう。二次元の世界に自分の夢想する世界を表現していくことはたいへん難しいものです。花鳥画を追求するためにヨーロッパの美術館巡りをしたりして、ずいぶん長いこと苦しみましたが、まだ余白の意味が完全にはわかりません。父、松篁の亡くなった99歳まであと20年ほどありますので、そのうち会得できるかなと気楽に構えております。

 私は鳥好きが高じて、自ら禽舎(鳥小屋)をつくってしまいました。たくさんの鳥たちを飼うのではなく、鳥たちに居てもらっています。長年鳥たちと一緒に暮らしてこられたので、自分が鳥や花と同じ目線に立ち、自然のなかに浸り込んで、はじめて花鳥画が理解できるのだと実感できました。

 人は自然と目線を同じくすることによって、自然の力の偉大さを知ります。人間の力ではどうにもならない大きな存在を知って、自分自身が謙譲な気持ちになれる。これが東洋の美意識です。日本画は、点、平面、立体に加えて、四次元の世界を表現します。作家の生きざまが時空を超えて画に織り込まれていなければ、納得の作品はできません。

 こういった心を理解できるものだけが、真の日本文化を継承できるのではないでしょうか。伝統というものは、その地に住む人々の血に脈々と流れている感性がつくり上げた産物です。次々と異文化の刺激を受けて肉付けされ、どんどんと力強く発展していかなければ、伝統が継承・発展する芽はなくなってしまうでしょう。その意味でも、新しい文化を排斥するのではなく吸収する、あるいは同化する力を持った京都人が育てた文化が、日本文化の根幹をなしていくと思います。

 京都の文化が、政治、あるいは経済の力のなかで少しマイナーな存在であるかのごときとらわれ方をされることもあるでしょうが、京都の文化は世界に出ても優ることはあっても、決して劣るものではありません。祇園祭が整然と、しかも誇り高い文化を持ちながら、こんにちまで千数百年以上も続いてきた事実に、京都人の底力、あるいは誠実さを感じます。みなさんの文化を支える力が京都創生、ひいては日本創生の原動力になると確信しております。

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