講演2 :「青蓮院門跡について」
東 伏 見

  青蓮院は平安時代から今に至っているわけですが,その間,いろんな方がいらっしゃいました。親鸞上人さんや法然上人さんの時代には慈円という偉いお坊さんがいらっしゃいましたし,その後,青蓮院流という非常に字のお上手な門主さんがいらっしゃって,江戸時代には書道を学びに青蓮院にたくさんの人が集まってまいりました。免許証を与えましてそれを持ち帰って地方に戻られるという仕組みが江戸時代にはあったわけです。それが明治になりましてからそういった書道の流派というものは無くなったんですね。今,お花とお茶,これは流儀であります。書道については江戸時代には青蓮院流というのが幕府の公認だったんですね。だから幕府の公文書を作る時にも青蓮院流で書かれたわけですけれど,明治になりましてから,英語など欧米の文化に明治政府が変わっていきましたから,書道も廃れてしまった。その間,流儀書道も廃れてしまいました。その後おきたのが,いわゆる個人の方がいわゆる芸術として書道を確立されるという流れになっています。時々,青蓮院流というのは今どうなってるんですか?とか,青蓮院流を継承してるんですか?ということを質問されるんですが,書道というのはそういう流れになっておりまして,私も真似て書くようには努力をしているんですけれども,青蓮院流を継承しているわけではございません。

  江戸時代から明治になります時に門主をつとめました最後の親王さんでありましたのが,私事でありますけれども,私の曽祖父にあたります。そういうこともありまして,今,私がこちらの門主をつとめさせていただくようなことにもなっているんですが。明治維新というのは大変なことでありました。廃仏毀釈,仏教否定でありますから,仏教やってたら欧米列強に負けちゃう,というのが当時の明治政府の考え方でありまして,仏教を全面的に否定したわけであります。従って,親王さんが仏門に入るなんてとんでもないということで,即刻やめさせて軍人になる,あるいは私の曽祖父は伊勢神宮のほうで宮司になったわけです。そういう意味で明治に大きな宗教改革があったわけです。日本の文化においても,宗教について言うと,明治政府の宗教の問題っていうのは非常に大きなテーマだと思いますね。それから太平洋戦争になっていったわけですし,その後アメリカが占拠した。そうすると,宗教というものに対して,日本はそこで切り捨ててしまったのではないかという感じがいたします。その後,戦後60年の教育のありかた。いろんなお考えの方がいらっしゃると思いますが,私は少し偏った方向に進んでしまったのではないかと思います。そうしたことの総仕上げとして今の時代がある。そういう中で宗教の大切さを強く感じるわけであります。私も,実はそんなことはあまり言えないわけなんですけれども,僧侶になりましたのはこれで14年目でありまして,本当は門主というともっと偉い年配の方がつとめるものでございまして,私なんかはまだ若造なわけですけれども。

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