見学:お話と案内
松 山

 皆さんこんにちは。今日は少し寒いですのでコートなど召してお話を聞いていただきたいと思います。時間があまりありませんから、簡単に申し上げるような次第でございます。

 妙心寺は臨済宗の本山でございます。臨済宗というと十四派あります。京都には七つございます。妙心寺、嵐山の天竜寺、大徳寺、金閣、銀閣を持っている相国寺、南禅寺、建仁寺、それから東福寺です。その他全国には、鎌倉に建長寺、山梨県に向嶽寺、富山県に国泰寺、静岡県に方広寺、滋賀県に永源寺等そういった有名な寺が全国にたくさんあります。何も宗派によって違いはありません。ただ修行する時の御師匠さんの違いで派ができているのであります。政治家のように何派なんていう派閥の違いはありません。修行も教義も皆同じでありまして、仲良く付き合っております。そのうちで妙心寺は一番大きい寺でございまして、全国に3400の末寺を持っております。大徳寺さんは全国に200ぐらい。天竜寺さんは100ぐらい、相国寺さんも90ぐらいでございます。妙心寺はその中でも非常にたくさん持っております。しかし、観光客は妙心寺ってあんまり知らないんですよ。しかし、たくさんの檀信徒を持っております。敷地は約10万坪ございまして、この中に37、塀の外の竜安寺などまで入れますと47の塔頭寺院と小さなお寺で構成されております。昔は花園駅までずっと両側に塔頭が87ありました。

 その中で退蔵院は3番目に古い寺であります。開山は今から750年ほど前。花園天皇というのが第95代の天皇でございます。ちょうど南北朝の始まる動乱の時代でありまして、非常に乱れていた。その戦乱の中で、なんとか平和な世の中が来ないか、人心が治まって素晴らしい世の中にしたいということで、花園天皇が仏教を目指して勉強に勉強を重ねられました。歴代の天皇の中で、禅の世界で悟りを開かれたのは2人くらいだと思いますが、花園天皇が、花園離宮を寄付しまして妙心寺が出来ました。この退蔵院は無因宗因禅師という方が、最初、四条大宮の向こうの千本松原辺りにお寺があったんですが、今から600年ほど前、応仁の乱以降こちらへ参りまして、ここに庵を構えたのであります。この方丈も1595年ほどの建物ですから、重要文化財になっておりまして、2005年で410年になりました。この後ろに書院がありまして、そちらに「囲いの席」というのがございます。隠れ茶席。忍者屋敷みたいです。この妙心寺は修行が厳しい所でございまして、江戸時代にはお茶が禁じられておりました。ここは、花園と言うくらいですから、お花の有名な所であったんですが、お花を置かれてお酒を飲んで御飯を食べて浮かれていては修行にならんということで、そのお花を御室の仁和寺へ移したという歴史もあるようです。この妙心寺参内の本山側には松しか植えてございません。塔頭に入りますと色んなお花が植えてございますけれどね。それで、お茶は禁止、花も咲かしたらいかんという時代がありました。しかし退蔵院には、お茶がどうしても好きな住職が当時おりまして、隠れてお茶を楽しんだ。入り口は壁のように見せかけておりますが、壁じゃなくて襖になっております。裏を見ますと三畳の茶室になっております。

 方丈は狩野了慶という人の描いた襖絵がたくさんあります。今は8面ほど地方に出品しておりますのであまりありませんが、通期にはここに立ててございます。

 それから何と言っても退蔵院で有名なのは、国宝の「瓢鮎図」でございます。瓢箪鯰の絵であります。日本で一番古い水墨画です。その絵の作者は相国寺派の如拙というお坊さん。如拙のお弟子に周文、周文のお弟子に雪舟となりまして、日本の水墨画は開けてきた。その如拙の「瓢鮎図」は瓢箪を持った農夫が、川に鯰が泳いでいる、それを見てる絵です。その絵に対して、これはどういうことかと言いますと、「瓢箪でいかにして鯰を押さえるか」という禅の公案なんです。我々一所懸命座禅をやりますが、ただ壁に向かって座禅をやるのは曹洞宗で、我々臨済宗は、お互いに向き合って座禅をします。そこで公案というのをやります。半年も座禅をやって足も痛くなくなりますと、悟りを開いた御師匠さん、導師様から公案という試験問題を出されます。「無字」の公案とか、「隻手音声」とか。「海の中、三千メートルの、金の玉を拾い出してこい」とか。修行なんですが、言い換えれば試験問題です。ここでは、瓢箪で鯰をいかにして押さえるか、という問題です。あの小さな瓢箪で鯰を捕らえて中へ入れようという。足利将軍義持の時代、当時五山文学と呼んでおりましたけれども、その頃の絵でありますから、その鯰を押さえるのにどうするのかという問題に対して、天竜寺さんとか、南禅寺さんとか、相国寺さんとか、時代によって五山の本山は代わりましたが、その五山の僧31人の答えが書いてあります。ちなみに今、臨済の7つの本山が京都にありますが、妙心寺と大徳寺は五山に入っておりませんでした。

 最初の答えはどう書いてあるかと言いますと「瓢箪で鯰を押さえるとは非常に面白いではないか。私がもし瓢箪で押さえるとすれば、瓢箪に油を塗って取ったらどうだ。」そういう答えが書いてあったり、2番目の人は「瓢箪で押さえた鯰を吸い物の中に入れたらどうだ。御飯がなければ砂でも掬って炊いたらどうだ。」といった答えが書いてあります。チンプンカンプンでしょ。瓢箪で鯰を捕らえるというのに、そんな答えが書いてあります。で、地方へ行きますと、「あの人は瓢箪鯰や」というのはわけの分からん人のことを言ったりします。でも本当はそうじゃなくて、我々の心というものはどういうもんだろう。心というものは大きいものか、小さいものか。色は付いてるのか、付いてないのか。増えたり減ったりするのか。我々の心というものを捕らまえてみよう、というのがその問題だと私は思っております。

 皆さん心ってどういうものか分かりますか?分からないですよね。無になれ、無になれ、と座禅の時に言います。中国の荘子でしたか、良い言葉があって「無用の用」。どういうことかと言いますと、皆さん、この建物がありますよね。建物作る時に一杯中へ柱を入れたら、部屋が使えない。器、お茶碗作る時に、粘土で一杯の丸いもの作って、中が空っぽになってなかったらお茶碗とか湯のみ茶碗は使えない。車輪がありまして、真ん中にスポークが回ってます。真ん中に固定したものがあればスポークは下がらない。硬く、軽く、と言うと人間もそうです。自分の中に我や執着なんかをいっぱい持っていると、それに捕らわれて何にも役立たない。がんじがらめ。それじゃいかん、ということで空っぽにしよう。湯のみ茶碗でも空っぽだったらお茶が入る。建物であっても柱がぽつぽつあって中ががらんどうであるから使えるということです。人間も座禅をする。無になれ。我を取れっていうのが我々の座禅。いくら、人の悲しみを自分の悲しみ、自分の楽しみは人の楽しみ、そんなこと言ったって自分ががんじがらめで色んな物を持っていると、そんなことにはならない。いくら平和を求め、平和を叫んだってダメですね。まず、空っぽにしよう、空っぽにしよう、我を取れというところが我々禅の世界で大切にしていることであります。

 それから、史跡名勝。枯山水庭園、狩野元信の庭というのがこちらにあります。外は少し寒いですけどね。室町時代中期から後期に狩野元信という絵描きさんが70歳を超えてから作ったといわれています。江戸時代の「都林泉名勝図会」、又は、無著道忠さんという素晴らしい方が撰を書いています。(庭をみせて)こちらが鶴島、亀島、三尊と言います。水が無いですから枯山水の庭園です。だいたい枯山水というのは大徳寺、妙心寺にあります。水があるところは山水庭園で、天竜寺さん、南禅寺さんとかは必ず山水庭園です。枯山水というのは水の無いところに白砂で波を表しまして、水の無いところに水を見て、音の無いところに音を聞いていくという、座禅の外に庭を見ていくという庭の構成であります。今、雨除けとか風除けが作ってありますが、昔はなかったですから、ここの障子を開けますと、生きた屏風、生きた襖絵になるように工夫して作ってあると言われています。書院へ行きまして、書院の横の襖を開けますと、隠れ茶席が設けてあります。それから時間があれば、今度は外へ出て行きますと山水庭園。約800坪の、今度は水が使ってあります。途中に「陰の庭」、「陽の庭」。陰・陽、人間で言いますと男・女。この世には対称的なものがあります。陰陽の「陽の庭」には7つの石、「陰の庭」には8つの石、両方で15個で構成されております。竜安寺の虎の子渡しも15個ですね。それから奥へ行っていただきますと、妙心寺で一番低い土地になりまして水が沸いております。それを利用した山水、滝から水が流れ出ております。もうじき椿、今は、まんさくがきれいに咲いておりますけれども、冬の花、春の花、夏の花と色んな花が必ず見られるお庭になっております。時間が来ましたので、簡単ではございますがお話を終わらせていただきます。どうぞ、今日は収穫のある勉強会にしていただきたいと思います。どうもありがとうございました。

(拍手)

司 会

 ありがとうございました。では、各自で見学をお願いします。一旦解散しまして、2時40分にお戻りいただきたいと思います。

(会場見学)

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