講演:京都国立博物館館長 佐々木 丞平

テーマ:「悠久の日本美を京都から世界へ」(2/2)

 先ほど応挙の話を致しましたが、18世紀の当時、京都画壇の中心となっていたのは御用絵師の狩野派であり、土佐派でした。土佐派は11世紀の春日絵所に始まり、この頃既に700年の歴史を有していたわけであります。このような京画壇の環境があるわけですが、当時の絵画の状況を見てみると、写生派の応挙、文人画の池大雅あるいは蕪村、琳派では尾形光琳、乾山、あるいは奇想派と言われた伊藤若冲、曾我蕭白など、今日名をはせる巨匠達が林立しています。そしてそれぞれの流派の画風は全くと言ってよいほど作風が異なるのに、京都の人々はそのどれをも受け入れていたのです。長い伝統を大切にする一方で、新しいものを認めないというのではなく、伝統の力と自信があるからこそ新しい試みや表現を見定めて取り入れ、育てていく、そういう懐の深さを有していたとも言えます。

 現在、京都国立近代美術館でアメリカ人のコレクター、ジョー・プライス氏のコレクションの展覧会が行われていますが、その中心を占めている伊藤若冲の作品も、プライス氏がコレクションを始めた当時はあまり注目されていなかったものでした。プライス氏は「50年間、誰も私と若冲の話をする者はいなかった」と語っています。コレクターに見出されたことで若冲作品は甦りましたが、京都にはまだまだ、その価値を再確認すべき文化財、芸術品がたくさん眠っています。見慣れてしまったことでその価値に気付けなくなった、そういう素晴しいものが私達の周りにもあると思います。京都に存在する美しいもの、文化・芸術が永遠の命をもって、これから先の日本文化をも支えていって欲しいものです。

 さて、長い年月の中で良い時代、悪い時代があるわけですが、現代の京都はどうでしょうか。様々な良い面と同時に問題を抱えてもいます。1200年の長い歴史を有する都として、文化・伝統の蓄積があるのと同時に、現在抱えているものには、「財産」だけでなく、いわゆる「負の財産」もあるのかもしれません。京都創生が叫ばれて久しくなりますが、掛け声がかかる時というのは、何かくすぶっている時とも言えるでしょう。様々な良き伝統・文化が継承に困難をきたし、新たに生まれてくるものも育ちにくいなど、何らかの不活性な要素が生じている時、何とかしなくては、とかかるのが掛け声であります。現代であれば、経済的な問題というのも大きな課題でしょう。都市が活性化し、人々の暮らしが平和で豊かなものになるにはどうしたらいいのか。ある意味で一度全ての棚卸しをしてみるのも良いかもしれません。

 一体、京都の抱えている良い面は何でしょうか。考えつくものを挙げてみますと、長い伝統に培われた様々な伝統芸術・伝統工芸・伝統芸能等があります。多くの人間国宝を生み出した芸術、茶道や華道、書道等の伝統文化、能、舞踊など京都ならではの質の高いものが数多くあります。また、教育の面では日本で一番人口当たりの大学生の数が多い都市でもあります。また、洗練された美味しい料理の店もたくさんあります。反対に問題点はと考えて見ますと、観光都市であるのに乗り物の排ガス規制がなされていないこと、あるいは都市景観がなお崩されつつあるなど、こういう問題が頭に浮かびます。よくよく考えてみれば、良い点、問題点が様々に見えてくることでしょう。創生というのは、どの時代においても常に繰り返されるものであって、今だけということではありません。時代の有様がバランスを崩し、どこかにひずみをきたしているのであれば、ひとつひとつのそうした問題点を取り出し、解決する道を考えていくことが大切になってくると思います。京都は長い歴史の間に何度もの見直しを行い、棚卸しをしてきたからこそ1200年の時を生き続けているのではないでしょうか。

 何かを長く続けてくれば、ある時その時代に適応できなくなっていることがあります。守らなくてはならない大切なものがある時、継承することの危険をどう乗り越えるのかは非常に大きな問題です。様々な時代の事例を見てみると、確かにその時代のニーズに適応できないと問題が生じてくる例が多いように思います。ニーズをいかにして読み取るかは重要な課題です。時代が求めていないことに費用を費やす、人材を投与するのでは無駄遣いにしかなりません。人々の関心が何に向かい、何を求めているのか確実にキャッチすることができたら、改革は半分進んだようなものではないでしょうか。

 18世紀、江戸時代に四条付近で絵を描いていた応挙は、世の中が博物学の時代に向かい、人々の好奇心が真実の姿を知りたいという、そういう思いに集約することをつかんだからこそ、写真の無い時代、写生画を生み出し、実物そっくりに描き出して一躍京画壇の寵児となりました。応挙の後、時代の気風が叙情味を帯びたものを好むようになると、弟子達、四条派の画家は作風を叙情味を帯びたものにすばやく転換し、人々のニーズに応えています。成功の影にも時代のニーズを読み取ることができる力量が作用していたことが分かります。ましてや複雑な現代にあって京都が活性化していくためには京都を取り囲む現代のニーズを正しく把握することが不可欠となるのではないでしょうか。

 時代のニーズを読み取り適応するということは、何も自分を捨ててそれに合わせるということを意味するのではなく、その時代が必要としているものを把握することであって、そのことによって取るべき方法が見えてくるということだと思います。仮に、外来語が数多く流入することで日常の文章が分かりづらくなった、もっと分かりやすくして欲しいという社会の需要、動きがあったとしたら、それに適応するということは、一つには外来語を使わないようにする方法。もう一つは広く人々に外来語を教育する方法とがあります。外来語を排除するか、広めるか、極めて異なる方法の取り組みですが、文章が分かりづらくなったという人々の不満を取り除き、希望に適応させることができるのです。こんな風に長い歴史の間には、例えば芸術の分野では多くの町絵師達が時代の好みを意識しながらも、その中で自分らしさを打ち出して生き抜いてきたと考えられます。

 時代を好転させること。新たな創生は何か一つを成立させるだけで解決するという単純な問題では無くなっていると感じます。大切なことの一つは皆が一斉に取り組むということです。単発的にぱらぱらと行っていたのでは大きな成果につながりません。以前、私はテレビで本願寺の掃除風景を見たことがあります。御婦人が畳を棒状の物で叩いておられましたが、一人の御婦人の力がそんなに大きいものとは思えません。ところが大きな室内に叩き出された埃がもうもうと白くあがっているわけです。これこそ正に小さな一人の力が同時に統合されたからこその力であります。京都創生もこの本願寺の掃除のような同時性を持った取組こそが重要でしょう。

 京都の各分野の方達が力を合わせ、それぞれの分野でできる改革に取り組むことと、既成の分野同士、既に存在している組織の分野同士であっても、今までに無かった取組や組合せをしてみることで新しい展開が生まれることがあります。京都国立博物館は創立110周年を迎えましたが、その間、京都御所の障壁画の展示を行う機会がありませんでした。御所はその建物の特殊性と作品保護の観点から今まで御殿内の約1500枚ある襖絵は一般に公開されず150年の間ずっと閉ざされていました。この二つの機関が力を合わせ、このほど新春に特別展を行うこととなったのですが、これも新しい取組の一つで、京都の地にある文化財だけでもまだまだ知られていない非公開のものがたくさんあることに気付かされます。活性化というのは新しい取組というよりも、このようないわば足元の見直しのようなところでも取り組めるものではないでしょうか。市民一人の小さな努力であっても、それが同時期に結集されるところに大きな善循環へのうねりが生まれてくることにつながっていくと思います。

 京都の文化芸術はまさに日本を代表するものでもあります。京都のためだけということではなく、世界を見据え悠久の日本美を京都から世界へと発信し続けていきたいものです。京都創生の動きが皆様一人一人のお力の結集でさらに邁進することを願いまして本日の私の講演をこれで終わらせていただきます。御清聴ありがとうございました。

司会

 ありがとうございました。それではここで休憩時間を取らせていただきます。

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